朝鮮戦争 時系列表 

私の意見
50年6月25日 開戦からの詳細ですが 誰が 何故 開戦を決断して実行したのか?
それが不明です。それで検証しました。


推測
北朝鮮軍が夜明け前 いっせいに砲撃開始とありますので
北朝鮮側が戦争を決意し準備し、実行したと思われます。
当時 北朝鮮(共産主義国)側はソ連 中国の3国です。

ソ連
の最高権力者 スターリン
中国
の最高権力者 毛沢東
北朝鮮
最高権力者 金日成  です。
金日成の独断とは考えにくい。彼はソ連の傀儡政権の親玉でしかありません。
元々ソ連軍の兵士です。

するとスターリンと毛沢東です。
共産主義理論の発祥の歴史 力関係から考えてこれはスターリンの野望と考えるのが妥当でしょうか。
彼はマルクス レーニンの共産主義を勝手に歪曲解釈し、同胞 先輩 後輩を粛清して
最高権力者にのし上がった男です。政敵を謀略で暗殺 気にいらない部下も容赦なく殺しました。 

まれに見る非情な男でした。家族の証言もあります。
殺さねば殺される、殺される前に殺してやる、でした。
私利私欲 共産主義の武力覇権拡張政策の延長と考えられます。

あくまで私の個人見解ですが朝鮮戦争はスターリンの野望とするのが妥当です。
マルクス レーニンは共産主義理論を考えた。 
しかしそれを実行したスターリンが悪党だった。

私はスターリンはヒットラー以上に悪党だったと考えます。
ヒットラーが殺したのは600万人 位です。
スターリンは3000万人殺しています。
そしてスターリンの意を受けて毛沢東は 抗日 革命の主張でもっと
5000万とか1億人を殺しています。

 共産主義理論を考えたマルクス レーニンもこういう結果では浮かばれないですね。
スターリン この男が朝鮮戦争の張本人です。



当時の大物 チャーチル  ルーズベルト スターリン 前列の3人



この男が張本人です。

権力の絶頂期には、部下に対して常に粛清をちらつかせながら接するようになった。
スターリンの質問に「No」の返事をすると粛清。曖昧な返事でも粛清。


最後は毒殺された?

なお、スターリンが、モロトフ、ベリヤ、マレンコフ、フルシチョフら首脳陣を粛清する計画を練っていて、
それを阻止するために上記の部下たちがベリヤを使ってスターリンを殺害、その後ベリヤは、口封じの為に殺されたという説がある。
実際に粛清する計画があったかどうかはともかく、スターリンは部下を使い捨てにすることで有名だったため、
首脳部の面々が常に戦々恐々としていたのは確かであろう。

これは私の個人的な見解です。
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朝鮮戦争の始まり

軍事や政治の方向から見た朝鮮戦争の詳しい解説は多いのですが 釜山の歴史の視点から
分かり易く書いた朝鮮戦争のページは少ないので書いてみる事にしました。 朝鮮戦争の始まり

1950年6月25日(日)米ソが北緯38度で分割占領した
国境の全線に渡って一斉に北が南に侵攻を始め戦争が
始まりました。(参照  朝鮮戦争の概要

西端の甕津半島にいた守備隊は早朝攻撃で壊滅
東海岸の注文津、江陵、三陟、墨湖、蔚珍、九竜浦に
ゲリラ部隊を上陸させて退路の脅かす事に・・

そして主力はソウルめざし、開城、春川、江陵も
同時に攻撃を受けたのです。

奇襲と戦車を含む大部隊の攻撃を受けた南は各地で
突破され敗退しました。

北は8/15の解放記念日を釜山で祝う為に50日の戦闘
作戦日程を計画し、逆算して6/25の総攻撃が決定され
たようです。
釜山日報6.27

これは6月27日の釜山日報です。
27日に初めて侵攻の報道がされました。

しかも勝っているような論調です。

6/25の当日は仕方ないですが26日には
報道があっても当然ですが27日になって
釜山の市民は開戦を知るのです。

東海岸の各地をゲリラが上陸しましたが
三陟の上陸だけは阻止できました。
ゲリラの乗った漁船2隻を対戦車砲で
沈めたのが大型艦船撃沈になっています。

国連安保理事会は26日に北を非難する
決議をし、米国は参戦する決意をする
のですが・・27日には首都を水原に移し
ソウルの陥落に備えるのです。

政府の発表した事だけを書くしか方法の
ない新聞で報道された情報だけでしか
戦争の概略を知るしか方法がなかった
のです。

このような報道なのでソウルで多くの市民が
逃げ遅れた理由が理解できます。



スターリンと毛沢東

開戦から仁川作戦まで

軍隊の編成
軍隊の編成はおおむね三進法となっている.基本は師団(Division)である.師団は三つの連隊からなる.
一個連隊(Regiment)は千名から3千名を数える.連隊は三つの大隊からなる.
大隊(Battalion)は600から800名規模で,四つの歩兵中隊・対戦車中隊・本部中隊からなる.
重迫撃砲と3日間の武器・弾薬・糧秣・輸送トラックを持つ.歩兵中隊(Company)は100から150名規模で,給食部門を持つ.
中隊は三個小隊により編成される.小隊(Platoon)は30から40名の規模である.
実戦時には10名程度の分隊(Squad)を編成することがある.
砲兵部隊,工兵,通信部隊は連隊単位で配備される.補給,医療関係は師団単位での配属となる.
師団の規模は戦時完全編成時には1万9千人とされる.
しかし米国の場合,急ごしらえのため規模が小さく,約1万人あまり.これに対し北朝鮮側は2万を越えていた.
なお現在の米国の軍制では連隊はなく,9ないし10個大隊7千名が,師団の下に直接置かれている.
歩兵大隊と戦車大隊の構成比率に応じ,歩兵師団あるいは装甲師団と呼ばれる.
実戦では数個大隊により旅団(Brigade)が編成されることがあり,朝鮮戦争当時の連隊に相当する.
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50年6月25日 開戦

朝鮮時間

4:00am 北朝鮮軍,雨の中,38度線全域でいっせいに砲撃を開始.

4:30am 西海岸の甕津半島から東海岸の注文津まで,38度線全域11ヶ所にわたり,北朝鮮の侵攻開始.戦車250台を先頭に,北朝鮮の5個師団13.5万人が攻撃に加わる.主要方面は開城(第六師団と第一師団)、議政府(第三師団と第四師団)、春川(第二師団と第七師団)。東海岸では第五師団が南下。これに対し韓国軍は9.8万人で装備も貧弱だった.

5:25am 平壤放送が第一報.北朝鮮政府が「アメリカ帝国主義者たちの扇動によって南朝鮮カイライ軍が38度線全域で北進を開始した.英雄的朝鮮人民軍は,敵の攻撃に反撃を加えつつある」と放送.(今日では南朝鮮攻撃の情報は北側が流したデマであることが確定している)

6:30am 韓国陸軍本部,北朝鮮の砲撃開始から2.5時間後に,南朝鮮全域に非常呼集を発令.

7:00am 韓国放送(KBS)、北朝鮮が大規模攻撃を開始した、との第一報を放送。

9:00am 方虎山将軍の率いる北朝鮮第6師団(旧中国人民解放軍第166師団)が開城を攻撃.前線は開城南方に進出.偵察部隊は臨津河を渡河.

10:00am 李承晩韓国大統領,北朝鮮軍侵入の報告を受ける.

10:00am 議政府の第七師団に蔡参謀総長が出動。57ミリ対戦車砲などがT34戦車に無効との報告を受ける。

11:00am 北朝鮮,公式に開戦宣言.平壤放送は「軍事行動は韓国側の挑発に対抗する措置」であることを強調.南ではこの宣言は報道されず.

12:00am 三機の北朝鮮ヤク型(ソ連製)戦闘機がソウルに飛来.

01:00pm 北朝鮮軍,開戦後4時間で開城を制圧.西海岸部の韓国軍第一師団第12連隊は兵力の半ばを失いソウルに向け敗走.甕津半島の第17連隊は海岸部に圧迫され孤立。

01:00pm ソウル・スタジアムで開かれていた全国大学サッカー選手権大会決勝が、試合途中で中止される。(そもそも試合を開始したこと自体が不思議)

02:00pm 李承晩、臨時閣議を招集。蔡参謀総長は攻撃が全面的であることを認めつつ、政治犯の解放を強制する北側の戦術ではないかと報告。

03:00pm 京郷新聞が開戦を知らせる号外を配布。北朝鮮の攻撃を報せつつ、「国軍精鋭部隊が総反撃を開始し、北朝鮮軍を撃退しさらに追撃中」とする。

03:00pm ムチオ大使、英語放送局「WVTP」を通じ、「憂慮すべき理由は何もない」と発表。

03:00pm 北朝鮮機が金浦飛行場を銃爆撃.燃料棟2棟に火災発生.

06:30pm 国務総理代理兼国防相の申性模,戦況について発表.「開城市は包囲されているが,韓国軍は依然,市の半分を確保し交戦中である.1万名編成の師団が,戦車90台の支援下に京城北方45キロの抱川を攻撃している.アメリカ政府に対し,韓国へ戦車,飛行機,大口径砲,船舶等を至急援助するよう要請した」

07:00pm 朝鮮人民共和国務省,第一回目の戦況発表.「南鮮軍が38度線全線にわたって奇襲攻撃.北朝鮮治安部隊および警備隊がこれを撃退し,さらに反攻に出ている.現在5キロないし10キロを前進して,なお戦闘継続中である」

07:00pm KBSは韓国軍優位との虚偽の戦況報告を流し始める。

08:00pm 韓国陸軍本部、朝日新聞の質問に答え、「明朝までには完全にやっつけてしまう。北へ進めという命令がないのが不満である」と述べる。

09:00pm 米軍事顧問団、「北朝鮮軍の進出は、午後までに実質的に食い止められた」と発表。

09:00pm ムチオ大使と李承晩が会見。李承晩は大田移動を提起するが、ムチオの説得で翻意したという。

夜 国連朝鮮委員会,ソウル放送を通じて即時停戦を呼びかける声明を発表.

北朝鮮の中部戦線部隊が,春川市の北方3.2キロに達し,韓国軍最強の第6師団と激闘を展開する.東部海岸では釜山北方65キロの九竜浦,蔚珍,江陵,三陟、玉渓、臨院津などに上陸.臨川の上陸部隊は小口径砲を揚陸した.浦項では上陸した北朝鮮部隊と韓国軍が戦闘態勢に入る.

米国時間  (それぞれの文献で記載された時刻どおりに並べたが,日本時間=朝鮮時間と米国東部時間は14時間のずれがあることに注意)

24日9:30pm ワシントンに,北朝鮮攻撃開始の第一報.ムチオ大使は「攻撃の性質および方法から見て、これは全面攻撃と見られる」と報告。

24日深夜 米国務省,トリグベ・リー国連事務総長と連絡。北朝鮮軍の韓国侵入に抗議するため,直ちに安全保障理事会を開くよう要請.ソウル駐留中の国連朝鮮委員会も緊急安保理の招集を要請.(朝鮮現地時間では25日午後)

25日午前 米政府、北朝鮮に対し即時戦闘中止と38度線以北への撤退を要求する決議案を提出.

02:00pm 週末休暇中のトルーマン大統領,ミズーリ州の自宅からワシントンに戻る.緊急閣議では,@防衛計画の中に台湾を含ませる,但し台湾への援助は蒋介石には与えない.Aインドの主張する中立政策を非難することに力を注ぐこと,を確認.ジョンソン国防長官は「陸海空軍はすでに出動待機の姿勢にある」と述べる.

03:00pm 緊急国連安保理が開会.リー国連事務総長は「国連朝鮮委員会の報告によれば,今回の事件が北朝鮮の侵略行動であることは疑う余地がない」と説明.

06:00pm 北朝鮮に対し「平和の破壊および侵略行為」の即時中止と,38度線以北への撤退を要求する米決議案が可決される.北朝鮮の主張を聞くべきだとのユーゴ決議案は1対6(エジプト,ノルウェー,インド棄権)で否決される.当時ソ連は,台湾が中国を代表するのに抗議し,安保理をボイコットしていたため欠席.

07:00pm トルーマン,ワシントンに到着。閣議決定を受け極東海空軍に対し出動命令.朝鮮半島における軍事行動の指揮権をマッカーサーに与える。

50年6月26日

朝鮮時間

03:00am 蔡参謀総長、議政府の第7師団にソウル死守を指令。

未明 第7師団、東豆川の奪還に成功。さらに抱川に進出を図るが北朝鮮戦車隊に撃破される。

08:00am 金日成,開戦を告げる演説.「李承晩の軍による全面的な侵攻によって,祖国に大きな危機が迫っている」とし,全国民に総動員・総決起を訴える.最高人民会議常任委員会,金日成首相を委員長とする軍事委員会を創設.

朝 北朝鮮第一師団、臨津江の鉄道橋を確保。韓国軍第一師団は臨津江南岸の?山で抵抗を続ける。

AM 北朝鮮軍第三師団,議政府(Uijongbu)を占領.韓国政府は,ソウル南方の水原への遷都を決定.李承晩大統領はただちに避難.

AM 米政府・軍事関係者の家族が仁川港から避難。

PM 北朝鮮軍,甕津半島を完全制圧.韓国第一師団第17連隊は上陸用船舶により撤退.

PM 北朝鮮第三師団、ソウル郊外の倉洞に迫る。韓国軍第二および第7師団は全滅.避難民の群れが大挙ソウルに押し寄せる。

PM 東京の米軍総司令部,F51戦闘機10機を韓国政府に引渡す.日本を発進した米軍機が韓国上空へ進出する.

夜 北朝鮮機が,ソウルへの小規模な爆撃を開始.

6.26 マッカーサー,「日本共産党機関紙アカハタが朝鮮問題について事実を歪曲した」との理由により,吉田首相に対し最小限30日間の発行停止を命じる.

米国時間

AM トルーマン,国務省・国防省首脳を集め会談.マッカーサーに対し,@ソウル防衛のため武器・弾薬を送ること,A米国市民の避難のため航空機・艦船を急派すること,B査察団をただちに送り,韓国政府・軍に対する支援策を策定すること,を求める.

10:00pm トルーマン,この日二回目の命令.38度線以南の北朝鮮軍に対し,航空機・艦船による攻撃を開始するよう指示.マッカーサーは「緊急命令」(alert order)を発し,極東地域の全戦闘部隊に,韓国への出動に備えるよう指示.第七艦隊第77機動部隊が海岸線の封鎖のため出動.この時点では地上兵力の派遣は見送られる。

50年6月27日

朝鮮時間

02:00am 申国防部長官が韓国軍首脳会議を召集。韓国軍は実質的に崩壊し、米軍の直接援助がない限り事態は絶望的と判断。政府ト軍司令部のソウル脱出で合意。引き続き国務会議、非常議会を開催し、水原への撤退を決定。

03:00am 李承晩が大統領官邸から脱出。釜山に向かう。

06:00am KBS放送、首都の水原移転を発表。たちまち市内に避難民があふれる。

朝 韓国国防軍当局,議政府を奪回したことを確認(実際には誤認であった).韓国政府は韓国軍が北鮮軍の進撃を食止めたとして,水原への首都移転を中止.しかしその後,参謀本部は,「情勢は再び甚だ困難となっている.圧倒的に優勢な北朝鮮軍は議政府を無抵抗で占領.さらに京城に迫っている」と発表.

09:30am 北朝鮮軍第三師団が,倉洞を突破。ソウル市内へ迫る。韓国軍第五師団は弥阿里に最後の抵抗線を敷く。?山の韓国軍第一師団、春川の第6師団は抵抗を続ける。水道,電気は供給を停止し,政府・公共オフィスはすべて閉鎖.

AM 駐韓米大使ムッツィオとジョン・チャーチ准将ら,ソウルを離れ水原に向かう.韓国軍,「米軍事顧問団(KMAG)所属の米将校全員が水原に異動した」と発表.

11:00am 蔡参謀長、首都圏部隊長会議を開催。ソウル撤退と漢江橋の爆破を決定。午後2時過ぎに撤収を完了。米陸軍公式戦史は,韓国陸軍参謀本部が,米軍事顧問団に連絡しないままソウルを離れ,永登浦の南約8キロの始興(シフン)に向かったと非難している.

3:00pm マッカーサー、米軍事顧問団の団長代理ウィリアム・ライト大佐に対し、「これまでの位置に復帰せよ」と指令。ライトは始興の陸軍本部を訪れ,ソウルに戻るよう説得.説得を受けた蔡参謀総長はふたたびソウル入り。

4:00pm KBS放送、米陸海軍の出動とマッカーサー司令部前線指揮所設置のニュースを報道。これを受け、漢江橋の爆破はいったん中止される。

7:00pm 日本を出発した極東軍総司令部の視察団(fact finding group)が水原に到着する.団長のジョン・チャーチ准将は現地に臨時作戦本部を設営.

PM 米軍のF82戦闘機と,北朝鮮のヤク戦闘機が初の空中戦.ヤク3機が撃墜される.

03:40pm 駐日韓国代表首席の金公使,「ソウルと電話連絡したが,首都はまだ占領されていない」と発表.

5:00pm 李承晩、列車で釜山に向かう途中、大邱で思いを変えふたたび北上。大田に到着。

5:20pm 韓国軍,米軍総司令部の前線指揮所が設置され,米空軍が直接戦闘に参加することになったと発表.

10:00pm 李承晩の演説がラジオ放送される。「国連は我々を支持し、米国は敵の侵略を撃退するため行動を開始した」ことを強調。

6.27 国家公安委員会の辻委員長,「現在までの状況では,国内の治安状態に異常は認められないので,非常宣言などは考えていない」と語る.

米国時間

正午 トルーマン大統領,海軍・空軍に韓国軍援助のため出撃するよう命令.在日司令部のマッカーサーに対し,駐留軍一個大隊の釜山派遣を指令.米海軍が韓国水域に進出する.同時に台湾海域への第七艦隊の出動,フィリピンの米軍増強,インドシナのフランス軍への軍事援助を指令.

午後3時 安保理,停戦命令を北朝鮮が黙殺しているとし,9対0で北朝鮮を「平和の破壊者」と断定.国連加盟国に対し,北朝鮮の武力攻撃を撃退すること,韓国への緊急軍事援助を開始することを勧告する米決議案を採択.

15の参戦国  オーストラリア,ニュージーランド,英国,フランス,カナダ,南アフリカ,トルコ,タイ,
ギリシャ,オランダ,エチオピア,コロンビア,フィリピン,ベルギー,リュクサンブール.ほかに三つのスカンジナビアの国は医療スタッフを派遣した.

6.27 夜 国連安保理事会,アメリカの韓国武力支援に関する決定を支持する決議案を7対1で採択.ソ連は安保理事会の会議をボイコット.「朝鮮における武力攻撃を撃退し,国際的な平和と安全保障を回復するに必要な援助を,大韓民国に提供することを,国連加盟国に対して勧告する」

6.27 深夜 第7艦隊の指揮を含む全作戦の責任がマッカーサー元帥に与えられる.

6.27 米政府,朝鮮問題にかんする覚書をソ連政府に送り,ソ連側の真意をただす.

50年6月28日 北朝鮮軍のソウル占領

1:00am 北朝鮮第三師団の戦車10台がソウル市内に侵入。弥阿里の防衛線は崩壊。戦車隊は東大門付近まで進出。

2:15am 韓国軍,漢江人道橋と鉄道橋を爆破した上でソウル撤退.市民のほとんどが取り残される.爆発時,橋の上にいた市民・将兵など500ないし800人が犠牲となる.さらにソウル北方で戦闘中の三個師団,韓国軍本部と米軍事顧問団も取り残される.(児島によればライト少佐ら米軍事顧問団は爆破直前に渡河したとされる)

4:00am 水原のチャーチ准将、蔡参謀総長と会談。「38度線を回復するためには、地上軍の投入以外にない」との判断をマッカーサーに送る。

5:00am 北朝鮮軍、ソウル総攻撃を開始。李英鎬少将の率いる北朝鮮第3、第4師団が,ソウル市内中心部に突入.

05:05am 極東空軍司令部のストラトメイヤー司令官,F−80戦闘機,B26爆撃機がロケット弾および500ポンド爆弾を積載して,韓国戦線に参加していると発表.

11:30am 金日成によりソウル解放が公式に宣言される。北朝鮮政府,李承焼司法相を京城市人民委員会委員長に任命.ソウル市内の政府諸官庁,アメリカ大使館,放送局および新聞社を接収.

PM 米軍事顧問団,漢江フェリーを利用して脱出に成功.夕方には水原の臨時本部に到達.チャーチ准将と意見交換.

6.28 午後 北鮮軍,水原16キロ以内に迫る.韓国軍は兵力の半ばを失い,さらに南方に移動.春川の第6師団も南方に向け撤退を開始.師団つきの米軍事顧問トマス・マクフェイル中佐は大邱に飛び,韓国軍の再編成に当たる.

PM 夜遅く,散発的な市街戦の末,北朝鮮軍がソウル全市を制圧.朴憲泳は「首都の解放は,戦争の勝敗を事実上決定するもの」と評価.「南半部の全体の解放は時間の問題に過ぎない」と豪語する.

6.28 UPによれば,国連代表筋はソ連が国連から脱退するかも知れないとの懸念を表明.

6.28 中国政府,トルーマンと米軍の台湾に対する行動は,朝鮮戦争を口実とした中国領土に対する「侵略」であると抗議.「中国政府は,中国人民が侵略に対する戦いに参加するため,朝鮮へ出発するのを引き止める理由を見出せない」と述べる.

50年6月29日

朝鮮時間

AM 第507対空砲部隊から派遣された「X分遣隊」が,水原に到着.空襲に備える.

AM 北朝鮮軍,金浦飛行場・漢江南岸への攻撃を開始.

10:30am マッカーサー元帥が東京から飛行機で水原を視察.朝鮮へ赴く機上で幕僚会談.マ元帥はストラトメイヤーに対し,38度線以北の北朝鮮基地攻撃を命令.

AM マッカーサー,李承晩と会見。蔡参謀総長の事情説明を受けたあと、漢江南方永登浦の前線を視察.防衛線は維持困難と判断.「南朝鮮軍は混乱に陥って戦意喪失し,いまや統率力も欠いている.彼らが主導権をとることは不可能である」とし,統合参謀本部に地上軍派遣を勧告.また李承晩に蔡参謀総長の解任を勧告。

PM 米艦ジュノー,韓国東海岸の三陟,江陵地区で艦砲射撃開始.

5:30pm 米空軍,北朝鮮領域への爆撃を開始.平壤を米軍爆撃機27機が爆撃.50キロないし500キロの爆弾300個を投下.

6.29 韓国政府,水原から大田へ移る.

米国時間

AM ソ連政府,米政府覚書にたいし回答.「朝鮮の事態は国境地区での南朝鮮軍の攻撃によって誘発された.事件の責任は南朝鮮当局ならびにその背後の者にある.ソ連は伝統的に他国の内政問題に不介入主義をとっている.ソ連政府は現在もなお,朝鮮内政問題に外国の介入が許されるべきでないとの主義に立っている」

PM ホワイトハウスで緊急会議.トルーマンのほかジョンソン国防長官,アチソン国務長官,ダレス国務長官顧問,ブラドレー統合参謀本部議長,三軍幹部も参加.必要とあれば朝鮮に陸軍を送るとしつつも,ソ連の対米回答が軍事干渉を匂わせていないことから,慎重論が大勢を占める.

50年6月30日

朝鮮時間

7:30am スタッフの撤退後,学生が自主運営していたソウル放送,最後の放送が絶える.

AM 北朝鮮軍,漢江南岸への渡河作戦を開始.第三師団の一部が西氷庫付近に橋頭堡を設営。

9:00am 韓国陸軍,蔡秉徳参謀総長を更迭.これにかわり丁一権准将が三軍総司令官兼参謀総長に就任.

7:00pm チャーチ将軍,極東軍本部との電話連絡のため水原南方17キロの烏山に移動.明日の歩兵師団到着まで水原空港の確保は可能と連絡.しかしこの間に水原の軍事顧問委員会は恐慌に陥り,通信設備を破壊して水原空港に移動.ここに防衛線を張る.

10:00pm 水原空港に移動した軍事顧問委員会,さらに水原空港を放棄し大田への撤退を指示.

11:30pm 水原に戻ったチャーチ准将は水原死守を命じるが,通信設備が破壊され,指揮系統が回復不能となったことから大田への撤退を指示.

6.30 北朝鮮の最高人民会議常任委員会,「共和国英雄」の称号に関する政令発表.533名に英雄称号が与えられる.

6.30 アーモンドGHQ参謀長,「米空軍は朝鮮半島のどこであろうと,これを攻撃する行動をとっている」と発言.北朝鮮への爆撃を認める.

米国時間

5:00am トルーマン,マッカーサーの度重なる要請に応え地上軍投入を決定.オーストラリア政府も部隊の出動を命令.

午前 第一回目の参謀本部命令.釜山防衛のため1個連隊の出動が承認される.(スミス機動部隊)

PM 第二回目の参謀本部命令.二個師団の派遣が承認され,水原防衛も含め,北朝鮮軍との交戦が認められる.在日第八軍司令部は,第二四師団の第二七連隊に韓国進出を命令.

 

50年7月

7月1日

3:00am 李承晩、ムチオ大使の勧告を受け太田を離れる。木甫から海上経由で釜山に避難。

9:00am 第二四師団(小倉)所属の第21歩兵連隊(熊本)が板付基地を飛び立ち韓国に向かう.当初は水原着陸予定であったが,直前に釜山に変更.現地ではスミス機動部隊と称される.

スミス機動部隊(Task Force Smith)  指揮官はJ.B.スミス中佐.実体は正規の連隊編成ではなく,変則的な大隊規模.21連隊第一大隊の歩兵二個中隊を中核とする500名の部隊.戦車はなし.対戦車砲はT34の装甲を破壊できず. 

3:00pm 大田の軍事顧問委員会本部が設営完了.

8:00pm スミス隊は釜山に到着したあと鉄道で大田に向かう.

7.01 北朝鮮軍,仁川を制圧.

7.01 米国内にアチソン国務長官の路線に対する批判が強まる.

反対派の主張(AFPが有力筋情報として報じたもの)
@政治的,経済的に弱体な諸国を共産主義に対する障壁とするためには,軍需品や原料を送るだけでは不十分である.まして組織された民主主義諸国の陣営に立たせることは出来ない. A対日講和条約の全問題を再考慮.場合によっては占領統治の延長.台湾の戦略的地位は重要性を増している.今後長時間にわたって「未解決」のまま残す.比島とインドシナに対する軍需品の供給を促進. B中国政策も再考慮.中国の国連加盟に必要な多数が得られても,米国は拒否権を発動.北大西洋同盟諸国に対する軍事援助もさらに強化される.

7月2日

8:00am 第24師団スミス機動部隊が大田に到着.チャーチ准将は烏山近辺に防衛線を築くよう指令。

11:00am 李承晩が釜山に到着。

AM 第24師団長ウイリアム・ディーン少将が,朝鮮派遣全米軍総指揮官に任ぜられる.総司令部前線指揮所司令官ジョン・チャーチ准将は,総司令部高級連絡将校として,ディーン少将の司令部付勤務を命ぜられる.

PM 韓国軍第17連隊が烏山を防衛。スミス機動部隊は、後方の平沢と安城に進出し防衛線を築く.

7.02 米艦ジュノーと英艦2隻,三陟・江陵地区で北朝鮮の水雷艇4隻と10台の木造貨物船と戦闘.これを撃滅する.

7.02 米戦略空軍の2部隊が大田に到着.米第20空軍のB29爆撃機は漢江南岸に進出した北朝鮮軍を爆撃.

7.02 中国軍,大規模な移動を開始.聶榮臻の軍が,北朝鮮に進入する態勢を整えるため前進.陳毅軍は福建,江蘇,浙江各省の部隊を台湾の対岸に配置.トルーマン米大統領は第7艦隊に台湾防衛を命令.

7月3日

8:00am 北朝鮮第4師団、韓国軍第8連隊が守る永登浦を攻略。韓国軍の激しい抵抗にあい、227人が戦死。負傷・行方不明あわせ2千名以上の損害を出す。

朝 漢江鉄橋の修復が完成。北朝鮮のT34戦車が漢江南岸に進出。戦車を見た韓国軍はいっせいに逃散。韓国軍は漢江の防衛線を全面的に放棄.

AM スミス部隊に続き,第24師団第34歩兵連隊、第52砲兵大隊が釜山に到着.第21連隊の主力が佐世保を出港。

10:30am 第24師団長ディーン将軍が大田に到着.極東軍総司令部に直属する朝鮮米軍の司令官となる.釜山基地は朝鮮米軍司令部の下に置かれ,クラムブ・ガーヴィン准将が基地司令官に任命される.

夜 北朝鮮軍主力が漢江渡河を完了.第三師団が仁川を制圧.主力は水原に,一部は東に迂回し水原東南15キロの梧山に迫る.

夕方 スミス部隊の偵察隊が北朝鮮軍と初の交戦.

7.03 米艦バレー・フォージと英艦トライアンフから飛び立った海軍機が,南浦から平壌にかけて空襲.第5空軍のB26軽爆撃機隊は,ソウル西南9キロを南下する韓国軍トラック部隊を爆撃.死傷者は200名以上に上る。

7.03 豪軍のF51ムスタング4機が,平沢駅に停車中の弾薬列車を誤爆.誘爆により駅舎が吹き飛ぶ.

7.03 烏山を防衛する韓国軍第17連隊の本部も飛行機による銃撃を受け、白仁Y連隊長が負傷。

7月4日

6:00am 北朝鮮軍、第四師団を先頭に南進を開始。

9:00am 韓国軍,水原を放棄し平沢方面に撤退.スミス機動部隊,平沢の防衛を固める.防衛隊には第52野砲大隊も参加.

AM 米英海軍,東海岸における海上封鎖を開始.

夜 北朝鮮軍三個師団が水原を占領.米軍司令部はスミス部隊に対し,烏山北方までを確保するよう指令.

7.04 マッカーサー,統合参謀本部に対し第二歩兵師団,第82空挺師団の連隊規模の即時投入を要請.さらに海兵隊師団の支援も要請.

7.04 児島によれば、この日マッカーサーは「ブルー・ハート」作戦を下命。第一騎兵師団に仁川上陸を命じる。その後戦況の変化により作戦は中止された。その後もマッカーサーはライト作戦部長の「統合戦略計画作成班」に仁川上陸作戦の検討を行なわせた。

7.04 日本政府,朝鮮における米国の軍事行動に行政措置の範囲内で協力する方針を閣議了承.日本籍商船による韓国向け物資の輸送,国内通信網の提供,特定労働者の超過勤務対策などに着手.

7.04 北朝鮮最高人民会議常任委員会,南韓土地改革実施に関する政令発表.

7.04 UP通信,ワシントン筋の情報として,「日本を完全に非武装化しておくのは現実的ではない」との考えが浮上してきたと報道.米政府内の再武装論者は,「米国がアジア防衛実行するためには,日本に基地を持つだけでは不十分であり,日本に自国領土を守りうる程度の再武装を許すべきだ」と主張.

7月5日 米朝軍が初の本格的対決

3:00am スミス機動部隊,烏山(Osan)北方4キロの竹美峰に進出し,斬壕を掘る.竹美峰南方には第52野砲大隊が榴弾砲6門を配置する。

6:00am 北朝鮮軍第4師団と機甲師団が水原を出発。烏山に向かう。

8:18am 米軍,前進してくる8台の北朝鮮軍の戦車に砲撃を加える.

9:00am 北朝鮮の戦車部隊33両が,スミス部隊の東方防衛線を突破.

10:15am 北朝鮮の戦車部隊,歩兵部隊の後方に迂回し第52砲兵部隊の第二防衛線を突破.

11:45am 北朝鮮軍歩兵部隊がスミス部隊を攻撃。

2:00pm 孤立の危機にさらされたスミス部隊、撤退を開始。

2:30pm 北朝鮮軍,烏山の韓国軍第17連隊を殲滅.韓国軍はT34戦車を見て崩壊。

7:00pm スミス部隊の残党が安城にたどり着く。部隊は総崩れとなり、スミス部隊は150人,第52砲兵大隊は15人の将兵を失い、72人が捕虜となる.

AM 第34歩兵連隊が大田に到着.ただちに第一大隊が,スミス部隊に代わり平沢の防衛に向かう.平沢駅の南10キロの成歓(Songhwan)に連隊本部を設営.安城には第三大隊が派遣される.スミス部隊(第一大隊)を除く第21連隊も大田に到着。第三大隊が安城に進出、第二大隊が大田の防禦線構築を開始.

7.05 韓国軍第八師団と第六師団は、中東部山岳地帯で遅滞戦闘を続行する.

7.05 大田刑務所では,3日間にわたって政治犯1800人が集団処刑される.これらの政治犯は主として順天・麗水蜂起の参加者。駐韓米大使館の陸軍武官ボブ・エドワード中佐は,虐殺をすべて監視.「韓国陸軍憲兵による処刑」報告をワシントンに提出.ほかに大邱、釜山でも同様の虐殺があったといわれる。

7月6日

3:00am 34連隊の第一大隊,平沢北方の鉄道橋,国道の橋を爆破したあと後退.

早朝 北朝鮮軍第4師団が平沢北方で渡河し,第34連隊第一大隊を挟撃.第一大隊は南に向け壊走.

AM 北朝鮮軍は一挙に24キロ前進し平沢を確保.

PM 北朝鮮軍,天安北方の成歓(ソウル南65キロ)まで進出する.平沢から壊走した第34連隊第一大隊は、天安南方で安城の第21連隊第三大隊,スミス部隊と合流し隊列を整える.

7.06 周恩来中国外相,リー国連事務総長あてに電報を送り「米国が台湾付近の水域に侵入している.中国は米国の妨害を跳ね除け,台湾を解放する」と声明.

7.06 社会党中央委員会,国連軍の朝鮮武力介入を「精神的に支持する」と決定.

7月7日 国連軍の創設

AM 第34連隊第三大隊,天安北方への索敵前進と遭遇時の遅滞戦闘を命じられる.天安北方8キロで戦闘が開始,米軍は徐々に後退し,天安北方3キロの最終防衛線を守れず,天安市街まで後退.第63野砲大隊の支援を仰ぐ.

PM 大田の第21連隊第2大隊,天安後方の鳥致院の守備と34連隊の支援を命じられ出動.

7.07 米軍司令官ディーン少将,北朝鮮が15個師団兵員9万5千,戦車150台を投入していると語る.

7日 韓国軍、壊滅した五つの師団を再編成。首都師団、第一師団、第二師団を新たに創設。鎮州、忠州、堤川、平海里を結ぶ線を新たな防衛線とする。

7.07 マッカーサー,統合参謀本部に対し,空輸連隊戦闘団と中型戦車4個大隊の機甲部隊に支援された4個以上の完全編成師団を要請.統合参謀本部は,日本配備の第25師団と第一騎兵師団,日本を統轄する第7歩兵師団から戦力を割き,再編成・増強に着手.さらに米本土シアトル配備の第二師団の派遣を決定.

7.07 米国政府,朝鮮戦争に必要な兵力を満たすため,選択徴兵法の発動を命令.義勇兵の募集も許可される.

7.07 国連安保理,開戦以来三度目の決議.英仏両国の共同提案で,米軍指導部を統一司令部とする国連軍の創設を決定する.ここまでに16カ国の軍が参戦.

7.07 ソ連政府,「米国の朝鮮海上封鎖は新しい侵略行為であり,国連の諸原則に反するものである」と抗議.

7月8日 マッカーサー書簡

AM 未明 北朝鮮軍が天安の側面を戦車で攻撃.夜明けとともに天安市内に突入.南の脱出路を断ち米軍を捕獲.市街戦では、バズーカ砲を担ぎ戦車と一騎打ちを試みたマーチン連隊長が戦死。 (新型対戦車砲が届いたのは大田の戦闘最中であり、これはバズーカではないと思われる)

PM 34連隊第三大隊が天安から敗走。脱出に成功したのは175名にとどまる.

PM 天安陥落の報を受けたディーン司令官,34連隊の残党には遅滞戦闘をとりつつ撤退するよう指示.鳥致院の21連隊には,最低4日間は持ちこたえるよう指令.砲兵隊,戦車隊などからかき集め援軍を組織.さらに34連隊の壊走を防ぐため,公州へ抜ける道路を封鎖.大田北方の錦江にかかるすべての橋の爆破準備にはいる.

7.08 北朝鮮第二師団が鎮川を制圧。首都師団は鎮川南方の文案山を奪還するが、北朝鮮軍の猛攻を前に清州まで撤退。

7.08 第24師団に引き続き、大阪の第25師団にも出動命令。これを受けたキーン師団長が大田でディーン司令官と会談。

7.08 トルーマン,国連安保理決議にもとづき国連軍総司令官にマッカーサー元帥を指名.定期的な戦況報告を求める. 

7.08 マッカーサーが吉田首相あて書簡.日本の警察力を現行の12万5000より20万に,海上保安隊の勢力を8000人増加するよう指令.予備警察隊(National Police Reserve)設置の法的措置は新たな立法ではなく,ポツダム政令(GHQが占領政策を円滑に進めるために出す勅令が,憲法より優先すると定めた政令)によるとする.

増強される7万5000の警察力は,国家公安委員会の下にある国家,地方警察とは別個の性格をもち,政府直属のもとに,現行警察法に拘束されずに活動するものとされる.さしあたり4個師団編成の日本防衛隊で、朝鮮有事に米軍が派遣された後の手薄になった日本の防衛を任務とする.「必要に応じて随時随所に出勤し、相当規模の機動力を持つ」と規定され,マッカーサーは将来の日本陸軍の基礎としようとした.

7月9日

AM 第21連隊第一大隊(スミス部隊)が全義で前線防衛.第三大隊はその1キロ南,戦略空軍地上部隊と第11野砲部隊は支援配置に付く.

正午 北朝鮮軍と全義北方で交戦に入る.戦闘機と野砲の支援を受けた米軍は,三時間の戦闘のあと北朝鮮軍を撃退.北朝鮮は戦車5台,運搬車両100台を破壊されるなど甚大な被害.

7月10日

未明 岐阜駐屯の第25師団第24連隊(黒人部隊だが司令官の名はホワイト大佐)、小倉の城野キャンプに到着。

早朝 霧にまぎれた北朝鮮軍が散開し攻撃開始.米軍の野砲はめくら撃ちとなり消耗.その後,戦車部隊が第一大隊の防衛線を突破,鳥致院に向かう.米戦車が北朝鮮軍戦車と初めて会戦.惨敗を喫する.

9:00am 北朝鮮軍,全義の第一大隊に最初の攻撃をかけるが撃退される.

正午 全義の第一大隊,鳥致院に向け撤退.交代に第三大隊が全義奪還作戦を開始.夕方にはいったん奪還に成功するが,深夜になり,鳥致院北方10キロまで撤退.

9:00pm 城野キャンプの第24連隊黒人兵250人が次々に鉄道車両から脱走。小倉市内の歓楽街に繰り出す。酒屋を襲い銃を乱射するなど強盗・暴行を繰り返す.武装したままの兵士集団に対し警察は取り締まり不能となる。

7.10 米第二五師団第27連隊が釜山に上陸.大邱北方40キロの義城まで進出.師団司令部は永川に置かれる.

7.10 統合参謀本部で,第24,25師団に加え,第2師団の投入が承認される.マッカーサーは仁川上陸を柱とするブルー・ハート作戦を検討するが,時期尚早としていったん破棄.

7.10 米国防総省,コリンズ陸軍,ヴァンデンバーグ空軍両参謀総長を東京に派遣.マッカーサーと必要兵力について協議.

7月11日

0:00am MP二個中隊が出動し、脱走兵の鎮圧にあたる。城野キャンプ近くの松原で、脱走兵と銃撃戦を展開したあと、主力を拘束。

早朝 補充兵を加えた21連隊B,C中隊が鳥致院の第一大隊に復帰.鳥致院の北3キロまで進出.

正午 鳥致院北方の21連隊第三大隊,北朝鮮軍に包囲され壊滅する.隊の半分が辛うじて南への脱出に成功.

PM 鳥致院西方の34連隊第一大隊,遅滞戦闘を繰り返しながら後退.錦江を越えて大田方面に敗走.北朝鮮軍は米軍防衛線の西部地区で錦江を越える.

11日 清州の首都師団、北朝鮮軍第二師団を奇襲攻撃。800人の損害を与える。

7.11 吉田首相が記者会見.「どんな事態になろうと戦争放棄を鮮明にした我々の態度は不変」と強調.

7月12日

早朝 北朝鮮軍,21連隊の守る鳥致院に迫る.北方2キロで挟撃体制に入る.

正午 ディーン司令官,錦江北岸に構築された陣地を放棄し後退する指令.鳥致院の21連隊に後退命令.第一大隊は錦江南岸の大坪里に新たな防衛線を敷く.韓国軍もこれにあわせ戦線を後退。

7.12 小倉で騒動を起こした第25師団第24連隊が板付から釜山に到着.沖縄の第29連隊にも出動命令.これにともない第27連隊は安東に移動.

7.12 大田の李承晩政府,米軍との間に「駐韓米国軍隊の刑事裁判権に関する大韓民国と米合衆国間の協定」を締結.米軍に一切の裁判権を付与する.

7月13日

未明 米第24師団はすべての軍勢が錦江をわたり南方に撤退.大坪里方面に第19連隊と砲兵隊主力、公州方面に第34連隊を配備。弱体化した21連隊は飛行場警備に回される。工兵隊がすべての橋梁を破壊.船舶・はしけを爆破.

早朝 北朝鮮軍第4師団が公州方面から、第三師団は大坪里方面から進出。この時点ですでに米軍は戦力の1/3にあたる5千人を失う。とくに先発した21連隊は戦力を半減。満身創痍の各部隊が大田防衛に当たることとなる.

AM 在韓米軍が編成替え.極東を統括する第八軍司令官ウォルトン・H・ウォーカー中将が,朝鮮派遣米地上軍司令官に就任.第八軍は朝鮮派遣米軍(USAFIK)の任務を引継ぐ.第八軍は,横浜から大邱へ司令部を移す.

7.13 米大使館、韓国政府、韓国軍本部も大邱に移動.

7.13 コリンズ陸軍とヴァンデンバーグ空軍の両参謀総長,アーサー・ラドフォード米太平洋艦隊司令長官らが来日.東京でマッカーサー,ウォーカー第八軍司令官らと会談.

7月14日

払暁 北朝鮮軍,大田北方15キロの錦江に出現.米軍と砲火を交わす.

9:30am 公州方面から進出した北朝鮮軍第4師団の約500名が、大田西方32キロの錦江橋付近で渡河作戦を開始.防衛にあたっていた第34連隊L中隊は承認なしに退却。

1:00pm 北朝鮮軍第4師団の前衛500人が橋頭堡を確立。第63野砲大隊に攻撃をかける。

1:30pm 北朝鮮の攻撃の前に取り残された第63野砲大隊に攻撃が集中.部隊は壊滅し136名の将兵が失われる.そのうち捕虜となったものが86人。

夕方 最後まで錦江北岸で抵抗を続けた第34連隊第三大隊「I中隊」も撤退.

7.14 韓国軍,東海岸で次々に撤退.浦項北方30キロの盈徳に最終防衛線を設定.

7.14 韓国政府、軍の作戦指揮権を国連軍司令官に委譲.トリグブ・リー(TrygveLie)国連事務総長,韓国での国連軍の地上行動に対し各国の増援を要請.

7月15日

未明 大坪里方面の北朝鮮軍が錦南橋付近で渡河作戦を開始。米第19連隊の砲撃を受けいったん撤退。

早朝 北朝鮮軍第4師団,錦江渡河作戦を完了.34連隊はほとんど抵抗せず論山まで後退.

6:00am 大田飛行場の守備にあたっていた第21連隊の1100人,大田を立ち16キロ東の沃川に向かう.第一大隊が大田・沃川間の第一トンネル付近で道路防衛に当たる.

7.15 徳田球一ら共産党幹部9名に対し逮捕状発行.勅令違反容疑および出頭拒否の罪状.これら幹部はいっせいに地下潜行.

7月16日

3:00am 北朝鮮軍第三師団が大田への全面攻撃を開始.大坪里への本格的な渡河作戦。

10:00am 北朝鮮軍第三師団主力が19連隊と激しく交戦.数時間後に19連隊は包囲され壊走.兵員650人を失う。

PM 論山まで後退した34連隊が呼び戻され,大田西方5キロの儒城で防衛につく.第19連隊は永洞まで撤退。師団本部の設営に当たる。ディーン師団司令官は引き続き大田にとどまる。

7.16 韓国政府,大邱に臨時政府を樹立.

7.16 米両院合同原子力委員会のマクマホン委員長,朝鮮で原爆を使用することはないと言明.

7.16 タイディングス米上院軍事委員長,「米国は朝鮮で6カ月ないし9カ月,戦闘を続けねばならないだろう.もしソ連が北朝鮮に増援軍を送るならば,戦闘はさらに長引くだろう」と語る.

7月17日

7.17 大田飛行場は放棄され,市内中心部にも砲弾が散発的に落下.

7.17 ウォーカー第8軍司令官、マッカーサーの指示に従い韓国軍の指揮権を掌握。

7.17 韓国政府,大邱からさらに釜山へ移転.

7.17 トルーマン大統領,ネール・インド首相に対し「米国は北朝鮮軍が戦闘を中止し,38度線以北への撤退に同意するまでは,朝鮮の如何なる和平交渉にも応じない」と通告.

7月18日

12:00am ウォーカーが太田を訪ね、飛行場でディーン師団長と会見。第一騎兵師団の到着する20日までの大田死守を要請。ディーン司令官,第19連隊第二大隊などの部隊に大田への前線復帰を命令.

7.18 米軍第一騎兵師団,迎日湾の浦項に上陸作戦.釜山が前線への軍需品輸送で飽和状態のためとされる.第25熱帯電撃師団は釜山に上陸.

7.18 GHQ,共産党国会議員の追放と「アカハタ」の無期限停刊を指令.後継・同類紙も同様に発行停止。共産党の機関紙活動が非合法化される.

7月19日 

AM 北朝鮮のYAK戦闘機が沃川北方3キロの二栢鉄道橋を爆撃.公州方面の第4師団が、群山国道上の論山から儒城に進出。第34連隊第一大隊と衝突。

AM 第一騎兵師団所属の第5騎兵連隊が大田に向かう.永洞でいったん停止.

PM 第21連隊の「L」中隊が,大田南西の長城里付近の群山国道上で北朝鮮軍と遭遇戦.2時間後に壊走.永同の21連隊第二大隊、19連隊第二大隊が呼び戻され,防衛線を再構築.

夜 34連隊第1大隊、儒城を撤退.大田市内に入る.

7.19 トルーマン大統領,軍事費増額を求める特別教書を議会に送る.「韓国に対する国際共産主義勢力の攻撃は,彼らがいつでも武力侵略という手段を用いて他国を征服する用意があることを,一点の疑いもなく暴露した」と非難.@100億ドルの軍事支出,A兵力制限の撤廃,B必要な物資についての優先制及び割当制などを要求.

7.19 トルーマン大統領,ラジオ放送演説.自由諸国の団結を呼びかけるとともに,国民にいっそうの協力を訴える.

演説の要旨  南朝鮮侵略はその規模からいって周到に用意されたものであろう.北朝鮮軍を38度線まで撤退させるためには,まだまだ困難な戦闘を覚悟しなければならない.より多くの兵員と兵器をマッカーサーに送らなければならない.
北朝鮮軍の南朝鮮侵入は,世界の他の地域でも同様の侵略が行われる可能性のあることを示した.ソ連政府は平和を希望していると主張している.しかしこれは,現に行われている侵略行為について,ソ連が示している態度とまったく矛盾している.

7月20日 大田陥落

深夜 北朝鮮の戦車部隊が群山国道から大田南方10キロの地点に出現.米軍偵察部隊は全滅.

4:00am 北朝鮮軍主力は,儒城東方の34連隊第一大隊を殲滅.残党は大田から東南方面に敗走.

5:00am 北朝鮮軍,大田西方2キロに迫る.このとき第三工兵大隊が新型対戦車バズーカ砲を使用.北朝鮮戦車3台が破壊される.

早朝 北朝鮮の戦車3両が市内中心部に侵入。バズーカを用いた米軍の反撃により破壊される。

正午 19連隊と34連隊が大田市内から撤退.大田飛行場の争奪戦では,新型バズーカがさらに北朝鮮戦車8台を破壊.

バズーカ砲(3・5インチロケット砲): 米軍が第二次大戦中に使用した2・36インチロケット砲をより強力に改良したもの.北朝鮮軍のT34戦車の装甲を打ち抜く力を持っている.これまで秘密兵器として秘匿されていたが、10日前に大田に配備された.

2:00pm ディーン司令官,師団各隊に対し大田からの撤退と沃川経由永洞までの移動を命令.

3:00pm 第一騎兵師団所属のM24戦車中隊が太田市内に入り、第24師団の撤退を護衛。

5:00pm 北朝鮮軍が大田に対する最終攻撃を開始。この時すでに撤退路は封鎖されていた.

6:00pm ディーン司令官、しんがりとなった第34連隊に退却を指示。北朝鮮軍は大田を完全解放.ディーン師団長は36日におよぶ山中逃避行の末,北朝鮮の索敵行動により捕虜となる.

7.20 米第7艦隊の艦載機が,48時間にわたって平壌付近の軍事施設を爆撃.さらに鉄道構内,輸送トラックおよび沿岸の船舶に対し爆弾および焼夷弾を投下.

7.20 米政府,「朝鮮の危機」と題する白書を発表.危機をもたらした責任がソ連にあると強調.国連決議に基づく米国の行動の正当性を訴える.

7.20 第一管区海上保安本部,北海道海域における国籍不明船の出没が31件に達していると発表.さらに標津上空に双発1機,厚岸沖に双発中型機1機が飛来.

7月21日

7.21 21連隊,遅滞戦闘を行いながら沃川から永洞まで撤退.永洞北西方6キロに新たな防禦線を構築.

7.21 07:17am 米第一騎兵師団,韓国軍との共同作戦により東海岸の盈徳を奪還.米艦隊が艦砲射撃で支援.中部戦線の醴泉地区でも作戦を開始.

7.21 吉田首相,「共産軍の侵入に対し,国連がその全機能をあげて対抗する事態が実現した.これにより,日本の安全保障に対するはっきりした見通しがつき,国民の不安も一掃された.『義勇軍』のような動きは許さない.また諸外国から再軍備の要請があっても従うつもりはない」と答弁.

7.22 第24師団の司令官にチャーチが就任。24師団は予備役扱い、21連隊は退役扱いとなる。19,34連隊は洛東江上流の軍威,義城方面にかけての守備につく.沖縄で編成されたばかりの29連隊があらたに24師団配属となるが,ほとんど戦闘経験なし.第24師団に代わり,第一騎兵師団が大田ー大邱防衛責任を負うこととなる.第八騎兵連隊が第21連隊と入れ替わりに前線配置につく.第五騎兵連隊は永洞東方に控える.

7.22 中国軍,廈門(アモイ)沖合いの金門島国府基地に対し砲撃を開始.

7月23日

早朝 北朝鮮軍,永同北西の第八騎兵連隊第一大隊に攻撃.4回にわたる突撃も米軍に跳ね返される.

朝 西海岸を南下中の第六師団が米偵察機により発見される。申国防部長官は蔡前参謀総長に部隊の編成を委ねる。蔡少将は釜山と馬山で兵を徴募し、1個大隊を編成。

7.23 マッカーサー元帥,「統合戦略計画作成班」の答申を受け、仁川・群山・注文律(東海岸)のいずれかへ上陸し,北朝鮮軍を側面攻撃する作戦を策定(クロマイト計画).第一海兵旅団と第二歩兵師団を用いるとされる。

7月24日

7.24 韓国軍,二個軍団・五個師団に再編成される.

7.24 夜 北朝鮮軍,永同の一部地域に突入.

7.24 第六師団南下の情報を得たウォーカー、予備役扱いとした第24師団をふたたび現役復帰。晋州から金泉にいたる西部戦線の守備を命じる。

7.24 第24師団に配属された第29連隊が釜山に上陸。そのまま晋州に向かう。この連隊は2個大隊しかない変則編成。ほとんど実戦訓練を受けていなかったという。

7.24 トルーマン,さらに105億ドルの追加支出を議会に要請.

7.24 米国務省,「もし中国が澎湖群島を攻撃すれば,米海軍部隊は防衛行動に入る」と声明.

7月25日

7.25 市民を装いひそかに永同市内に浸透した北朝鮮軍,夜明けとともに総攻撃を開始.第一騎兵師団ゲイ司令官は永同撤退を命じる.北西部に展開していた第八騎兵連隊第一大隊は,北朝鮮の奇襲部隊を殲滅し撤退に成功.南西部の第二大隊は壊滅し敗走.撤退路の確保に当たった第五騎兵連隊は,「F」中隊が全滅するなど甚大な被害.パニックに陥った兵士は市民を見境なく殺害.

7.25 第24師団の師団司令部を陜川におく。19連隊第二大隊が晋州に入り,南西方の安義に第一大隊、34連隊を西方の居昌に配備。あらたに編成・配備された29連隊は、南西50キロの河東と北西部の咸陽・安義に防衛線を敷くこととなる.

7.25 Sangyong-niの第27連隊第一大隊,夜間に撤退.早朝とともに北朝鮮軍が攻撃をかけるが,すでに後退を完了した第一大隊が周囲の高地からターキー・ショットを仕掛ける.この戦闘で大隊規模の北朝鮮軍が全滅.このあと27連隊はHwangganまで後退.

7.25 蔡少将、河東に対する前進守備を提案。晋州の第19連隊の支持を得る。晋州に着任したばかりの第29連隊第三大隊が、急遽河東に派遣される。

7.25 東京に国連軍総司令部が設置される.マッカーサーを総司令官とする一般命令第一号が発せられる.李承晩は国連軍に指揮権委譲.

7.25 マッカーサー朝鮮派遣国連軍総司令官,米政府を通じ,安保理事会に第一回戦況報告.

戦況報告要旨  北朝鮮軍の兵力は歩兵6個師団,国境警備隊3個旅団,35トンないし50トンのソ連製戦車100台,その他大砲多数,飛行機(主として戦闘機)100機と推測される.北朝鮮軍の総兵力は9万ないし10万で,訓練も行き届き,装備はソ連製の優秀なものである.

7.25 ノグンリ虐殺事件の主人公となる第7騎兵連隊第二大隊が,大田・大邱国道沿いに撤退中の臨時本部を設営.

7月26日 ノグンリ(老斤里)虐殺事件

北部戦線

深夜 北朝鮮軍,永洞郊外に集結した第一騎兵師団に対し数波にわたる攻撃.このあと,智異山北麓の山道を迂回する計画に変更.

正午 ノグンリ虐殺事件が発生.退路が断たれたとのうわさでパニックに陥った第二大隊は,統制を失い武器を捨て四散する.軍の一部は付近の住民500人を集め,鉄橋下のトンネルに閉じ込めた後,三日間にわたり機銃掃射を続ける.

南部戦線

未明 北朝鮮第6師団、河東を攻略。民兵400人からなる韓国軍守備隊は壊走。

夕方 晋州から進出した29連隊第三大隊は,河東から5キロ東の横川に防衛線を設営.

7.26 全羅北道の裡里駅では,米軍機の爆撃により350人の民間人が死傷.

26日 ウォーカー、洛東江防禦線への後退準備命令を発する。あわせて第8軍司令部の釜山への移動をマッカーサーに打診。

7.26 シンウエル英国防相,英地上軍の朝鮮派遣を発表.1億ポンドの追加軍事予算を議会に提出.オーストラリアも地上軍派遣を決定.

 

馬山戦線と洛東バルジ

 

7月27日

南部戦線

9:45am 第24師団29連隊の第三大隊と蔡秉徳(Chae Byong Duk)将軍の韓国軍の合同部隊,横川から進出。河東峠で北朝鮮軍の待ち伏せ攻撃にあい、蔡将軍は戦死,第三大隊のモット隊長も重傷を負う.

12:00am 第三大隊が壊滅状態で退却。死傷および行方不明者は400名以上に上る。

AM 第6師団の主力,南原付近を釜山への第2の突出路と定める.南原から咸陽に進出.安義を防衛する19連隊第一大隊が北朝鮮軍の側面攻撃を受ける.29連隊第一大隊が晋州から救援に派遣される.

北部戦線

7.27 安東を守る韓国軍第一軍団(首都師団および第8師団),北朝鮮第二軍団の攻撃をはね返し、さらに第一師団は尚州北方の咸昌で反撃を開始.尚州に配備された第25師団は撤退の動き。児島によれば、第25師団のうち第27連隊は第一騎兵師団に引き抜かれ、第24連隊は動揺を繰り返したという。

27日 マッカーサー、大邱を訪れウォーカーと会談。「朝鮮からの撤退はありえない。朝鮮でのダンケルクはない」と述べる。

7.27 マリク・ソ連国連首席代表,リー国連事務総長に書簡を送り,8月の安保理事会議長に就任すると通告.

7月28日

7.28 安義に救援に向かった29連隊第一大隊が包囲され,二中隊が全滅.北朝鮮軍主力はさらに居昌に向かい,24師団第34連隊を包囲.

7.28 24師団司令部,崩壊した29連隊を解体,残党を19連隊の第一,第二大隊に配置.河東からの北朝鮮軍の進出に備え,晋州防衛線を組織.

7.28 Hwangganの27連隊第一大隊,北朝鮮軍に防衛線を破られ撤退.第一騎兵師団は司令部を金泉に後退させる。27連隊は第一騎兵師団から第25師団に復帰.

7.28 国警本部,各管区本部に対し「主力を一般の刑事事件から通信・発送電・列車妨害事件に集中せよ」との「第一号指令」を発する.日発首脳部も電産と連絡し電源地防衛のため国警・警視庁と協議.

7.28 報道8社,占領軍の勧告を受け共産党員336人を解雇.赤色分子追放(レッドパージ)の始まり.

レッドパージ: 新聞報道関係の700名(全従業員の2.3%)をはじめ,電産2000名,日通500名,映画110名,石炭2000名,私鉄700名などが三ヶ月間に職場を追われる.ほかに造船,鉱山,鉄鋼,自動車,化学,石油,印刷,車輌,電工,銀行などほとんど全産業で職場追放が実施される.


7月29日

4:00am 居昌の第34連隊に対する攻撃が始まる.第一大隊は命令なしに居昌東方に撤退.まもなく第三大隊も撤退.逃げ遅れた1個小隊が全滅.

PM 34連隊,居昌から25キロ東の山際に新たな拠点を構築.第八軍は韓国軍第17連隊,21連隊第一大隊を陜川に急派.(21連隊は退役となったはずだが)

夜 咸陽付近のUmyong-niで防衛線を張る29連隊第一大隊の残党,北朝鮮軍の攻撃を受け晋州北方35キロの山清まで後退.

7.29 第八軍,大邱防衛線を編成.第一騎兵師団本部が金泉に設営され,第八騎兵連隊が尚州への国道,第5騎兵連隊が智異山国道,第7騎兵連隊が金泉の北西部で永洞への道路を確保することとなる.尚州には新任の35連隊第二大隊.

7.29 ウォーカー中将、幕僚を集め、洛東江防禦線が最後の一線であることを強調。「我々は最後まで戦わなければならない。捕虜になるのは死よりも悪いことである」と演説。

7.29 マッカーサー、戦況の悪化からクロマイト作戦の実施を延期。海兵隊と第二師団を洛東江防禦線に投入。

7.29 吉田首相,警察予備隊をめぐる議論の中で,講和後の安全保障について持論を展開.

吉田答弁の要旨
@最近特に共産党の行動が目立って来ており,現在の警察力では十分治安を維持しがたい.更に朝鮮動乱の発生によって,いかなる事態が起らないとも限らぬ情勢になって来た.警察予備隊設置の目的はあくまで国内秩序を維持するもので国際紛争を解決する手段としての軍隊ではない.
A義勇軍参加は法的には認めらるかも知れない.しかし未だに世界各国は日本を猜疑の眼で見ており,これが講和の大きな妨げになっている.この誤解を解くためにも,義勇軍は許したくない.
B武力による自衛権の発動は憲法で明らかに否定されており,これを変更しようというような考えは毛頭ない.軍事基地は貸したくない.基地を要求されることはないと思う.なるべく戦争に介入させたくないというのが,日本に平和憲法を作らせた連合軍の本当の気持だろう.
C永世中立論は,たとえ条約で保障されてもこれを無視して省みぬ国家がある以上,それだけでは安心できない.安全保障の伴わない講和条約は空念仏である.地域的集団保障か世界的集団保障かということについては相手方の申し出ることであり,こちらから指定できるものではない. 

7月30日 晋州陥落

7.30 払暁 北朝鮮軍,河東・晋州間の道路を寸断し,19連隊第二大隊の守る晋州西南16キロの鳳渓里を攻撃.夕方までに晋州まで3キロに迫る.夜になって米軍はSangjuまで撤退.

7.30 35連隊第二大隊,Sangju南方に後退.これにともない24連隊はSangju西方5キロの高地まで後退.

夜 ウォーカー、晋州の維持を断念。馬山を最後の防衛線とし、倭館の第25師団27連隊を派遣。

7.30 アチソン米国務長官,「米国は中共に対し,何ら敵対感情を抱いていない.中国が国連憲章に違反して介入しないよう望んでいる」と語る.

7.30 警察予備隊設置の構想が明らかになる.警察隊の仕事は暴動などの予防,取締にあたることにあり,一般警察の業務は行わない.さしあたり小銃を携帯,近い将来は軽機関銃が与えられる.
 

警察予備隊についてはGHQ内部でも対立があった.国務省側の民生局のホイットニー准将は旧内務官僚と結び、日本の再軍備を阻止しようとしていた。これに対し、国防総省側の情報局のウィロビー少将は,東条英機の秘書官上がりの服部卓四郎大佐と結んで再軍備を推進しようとした。

7月31日 マッカーサーの台湾訪問

2:15am 晋州で激戦が始まる.北朝鮮軍が19連隊第二大隊を攻撃.明け方までに米軍は敗走.ナム川を越え晋州から東に20キロのChiryong-niまで撤退.さらに新たな拠点を構築するため馬山まで後退する.

7.31 マッカーサー,台湾を訪問し蒋介石と会談.中国軍の動きへの対応につき協議.「総統の共産主義の支配に対する不屈の決意は、米国の利益と共通のものである」とし,「中国本土と戦っても台湾および澎湖島の防衛を支援する」との特別コミュニケを発表.米華協定の締結を声明.蒋介石は国民政府軍の朝鮮出動を提案するが,マッカーサーは否定.(マッカーサーは国府軍の動員を念頭においており、それを蒋介石に語らせることでアドバルーンを揚げたものと見られる)

7.31 米軍、南部に進出した北朝鮮部隊が第4師団ではなく、別の師団(第6師団)であることを初めて知る。ウォーカーは洛東江線より外側の米韓両軍の総引き揚げを決断。

7.31 ハワイで編成された第五戦闘団(連隊規模)が,朝鮮に上陸.ただちに南部戦線に加わる.

7.31 開戦以来1ヶ月余りで,米軍死者は1884人,負傷者2695人,行方不明523人,捕虜となったもの901人に達する.ウォーカー中将,「もはや退却はない.われわれは最後まで戦う.われわれは防禦線を守り抜き,勝利を得るだろう」と声明.

7月 韓国政府,国民補導連盟の会員を予防拘束.多くがまもなく処刑される.国民補導連盟は,左翼組織にかかわった経歴を持つものが強制的に加入させられた組織.

7月 「在日本朝鮮統一民主戦線(民戦)」,北朝鮮防衛のための行動隊として「祖国防衛委員会(祖防委)」を組織.

 

50年8月

8月1日

8.01 米第八軍司令官ウォーカー中将,洛東江を最終陣地線とし,全軍への後退を指令.

8月初頭の両軍の配置: 北朝鮮軍第6師団は馬山を、第4師団は霊山を、第三師団は倭館の南方、第10師団は倭館の北方から大邱を、さらに北方からは第15、第13、第1、第8師団が大邱を、第12師団は浦項、第5師団は盈徳を攻撃。
米・韓国連合軍は、 鎮東から洛東江・南江合流部まで(馬山戦線)は25師団,そこから高霊まで(洛東バルジ戦線)は24師団と韓国軍17師団,高霊から倭館までは第一騎兵師団,倭館以北は東海岸の盈徳までを韓国軍第一軍団(首都師団と第三師団)が防衛する.新たに配置された第9歩兵連隊と第二歩兵師団はリザーブとされる.

8.01 北朝鮮軍第6師団は晋州から咸安に向かい進出.馬山の25師団に配属された27連隊,19連隊が戦意を喪失していることから,前線防衛の任務を交代.鎮東に防衛線を設定.

8.01 午後 兵力3万以上の北朝鮮軍第三、第四師団が一斉攻勢を開始.陜川,知礼および金泉地区の拠点から西方に移動.24師団、第一騎兵師団の守る大邱―釜山交通線の切断を狙う.

8.01 洛東バルジ戦線: 元北朝鮮軍橋頭陣地のあった洛東江屈曲部の昌寧南方地区に侵入.8キロ東方まで侵入.第24師団は,洛東江屈曲部南端近くの霊山まで後退,新たな陣地を構築.

8.01 安全保障理事会開催.議長国のソ連のマリク国連代表は,国民政府代表の追放を裁定するが,表決に敗れる.オースチン米代表は,「韓国侵略に関する提訴」を議題に加えるよう要求.ソ連がこれを拒否したため紛糾.

8.01 マッカーサー,外地戦参加在郷軍人会の質問に答え,台湾防衛の意義を強調。また「武器なき日本が自由の破壊に専念する侵略国の犠牲となることの懸念よりも,再び武装され,軍国化した日本の将来について大きな懸念が存在する」と述べる.

8.01 英,仏,ベネルクス5カ国外相からなる西欧連合常設諮問理事会,朝鮮紛争問題の評価をめぐり会合.西欧諸国の再軍備を急進化する必要について一致.

8月2日

8.02 早朝 洛東バルジに進出した北朝鮮軍の一部が,南部戦線にも攻勢.新たに編成された24師団米戦車機動部隊が,南江より5キロ南で北朝鮮軍と遭遇戦を展開.8時間の戦闘の末,北朝鮮軍は撤退.

8.02 馬山の27連隊,戦車部隊を中心に機動部隊を編成.鎮東方面へ威力偵察行動を展開.航空機の支援を得て,北朝鮮の補給線に大きな被害を与える.

8.02 第一騎兵師団,北朝鮮第三師団との一週間にわたる攻防戦の末,大邱西北50キロの金泉から完全撤退.

8.02 ハワイの陸軍第五連隊戦闘団,第二歩兵師団,第五海兵連隊を中核とする第一臨時編成海兵旅団が相次ぎ釜山上陸.(所属は不明)

8.02 トルーマンの意を受けたジョンソン国防長官、「台湾中立化を標榜する米国の公式方針と背反する」とし、マッカーサーの在郷軍人会への手紙を撤回させる。手紙は撤回されるが、その内容はメディアで大々的に発表される。

8月3日

8.03 北朝鮮軍,第三師団(第四師団?)を投入し鎮東の27連隊に大規模な攻撃を仕掛けるが,米戦車部隊により多数の犠牲を出し撤退.これを機に南部戦線における攻守の関係が逆転.

8.03 トルーマン,「ジョンソン国防,アチソン国務両長官に全幅の信頼を寄せており,私が大統領の職に留まる限り,両氏を更迭することはない」と述べる.また台湾での蒋介石との会談に関しマッカーサーとの協議のため、アヴェレル・ハリマン大統領特別補佐官を東京に送る.

8.03 米政府,ダレス国務長官顧問を責任者とし対日講和草案の作成を急ぐ.ダレスは「米国は他の民主的諸国に対し,日独両国を自由世界の一員として参加させるよう説得するつもりだ.早期対日講和によってアジア太平洋地域が危険に陥ることはない.米国は日本に米軍を駐留させることで,これを保障する」と述べる.

8.04 米軍,洛東江を防衛線とする守備体系を編成.

8.04 マリク代表,朝鮮紛争の両当事者を招請するよう提案.オースチン米代表は「国連はまだ北朝鮮を承認していない.しかも北朝鮮は安保理事会の停戦命令に従うことを拒否してきた」として,マリク提案に反対.

8.04 マグナスン議員,日本人義勇軍法案を議会に提出.

8.05 国連安保理,「朝鮮問題の平和的解決をはかる」ソ連提案は否決され,「北朝鮮の侵略を非難する」米提案が採択される.議長国であるソ連は拒否権を行使せず.なお中国加入問題については,ソ連,英,ノルウェー,インド,ユーゴの5カ国がソ連案に賛成するが,可否同数で否決となる.

8月6日 北朝鮮の渡河作戦と米軍の晋州奪回作戦

8.06 正午 北朝鮮の大隊およそ800人,Ohang(不明,南旨の近郊か?)で渡河を開始.頭に服,器材,武器を括りつけ,首まで水につかりながら渡る.船舶の不足により迫撃砲,重火器の持込は妨げられる.上陸部隊はSoesilで,出動した第19歩兵連隊と戦闘となる.攻撃をしのぎながら集結予定のCloverleafHill(現釜石近郊?)に拠点を構える.

8.06 第25歩兵師団,南部で晋州攻撃(キーン作戦)の命令を受ける.第5機動部隊が晋州に進出.第一暫定海兵大隊が固城国道を南下.夕方には鎮東に達し,27連隊と合流.晋州攻撃の準備に入る.35連隊はMuch'on-niから南西方向に進撃し,第5連隊と合流.第24連隊は,馬山と晋州のあいだのSobuk山地域で索敵行動を展開.

8.06 リー国連事務総長,国連総会に提出する年次報告書を発表.

年次報告の結論
国連憲章に従う国連加盟諸国は,第三次世界大戦を防止する僅かの可能性でも存在する限り,世界をあい争う二つの陣営に分裂することを受け入れないだろう.しかし,そのためには懸命な政治的行動を必要とする.平和こそ我々の目標である.朝鮮だけではなく全世界で平和を勝ち取らなければならない.
アジア,その他未開発地の何千万という人々は,新時代の夜明けを心配しながら待っている.我々が取るべき措置が複雑かつ困難なものであるにせよ,これ以上行動を遅らせることはできない.

8月7日

8.07 渡河した北朝鮮軍,19連隊,34連隊による反撃を撃退し,CloverleafHillとObong-ni(五方?)山の確保に成功.

8.07 06:30am 米軍,朝鮮戦乱開始以来最大の攻撃を開始.ウイリアム・キーン少将の指揮する第35連隊,第5機動部隊,第3海兵旅団が「キーン」作戦軍を編成,馬山,鎮東西方115キロにわたる戦線で一斉攻撃.晋州地区の北朝鮮軍2ないし3個師団に攻撃を加える.海兵隊は海岸沿いに南方に進出.第35連隊が錦江方面に北進.5時間の戦いの後,北朝鮮の大隊は敗走.西方に進んだ第5機動部隊を中核とする混成軍,フォックス・ヒル(鎮東里西方の海岸道路を支配する高地)で北朝鮮軍の待ち伏せに会い孤立.

8.07 アベレル・ハリマン大統領特使,日本と韓国を訪問.マッカーサー=蒋介石会談の真意をただす.台湾に対する米国の軍事および政治上の戦略を調整.

8.08 ハリマンに同行した統合参謀本部のリッジウェイ陸軍副参謀長,ノースタッド将軍、空軍のチャールズ・カベイル将軍を加え,東京でマッカーサーのクロマイト作戦計画を検討.基本的に了解.

8月8日

8.08 早朝 第二師団が戦闘に参加.第9歩兵連隊が洛東バルジに到達.クローバー丘・五方で戦っていた第24師団第34連隊を救援.いったん拠点を奪取するが,夜になって奪還される.

8.08 キーン作戦.第二大隊と第五海兵大隊,フォックス・ヒルの攻略に成功.包囲された第5機動部隊を救出.晋州―馬山街道を西進中の米第35戦闘部隊は沙谷里の郊外に到達.

夕方 北朝鮮の第一5師団,倭館付近のいくつかのポイントで洛東を渡り,Yuhak山地域(力山か?)に移動.Yuhak山は標高約千メートル.大邱北方25キロにある.(この後ほとんど地名が分からず翻訳断念)

8.08 国連安保理事会開く.マリク議長は冒頭,北朝鮮爆撃に関する朴外相の抗議文を朗読.オースチン米代表は「マリク代表は,朝鮮問題審議を妨害し続けている」と反論.

8.08 マッカーサー,マグナソン上院議員の提案に対し回答.「講和条約が締結されるまでは,日本人義勇兵を米国軍に徴集することは出来ない」と述べる.(いかにもとってつけたような理由.実際には,少なくとも数十人の日本人が兵士として派遣されていた)

マッカーサー回答の要旨
講和条約が締結されるまでは,日本は国際管理の下にある敵国である.重ねて対日講和の早期締結を考慮するよう訴える.それまでのあいだ日本の国内治安をはかるため,7万5000の警察予備隊を加える措置を取った.

8月9日

倭館戦線 午前3時 北朝鮮第三師団,倭館南方の洛東鉄橋から,洛東江渡河作戦を開始.米第五騎兵連隊の激しい砲火の中,甚大な犠牲者を出しつつも先進部隊は渡河を完了.大邱に通じる公路沿いに,3キロ南のNoch'onに進出.第一騎兵師団の前衛部隊後方で進路を遮断し測量山(268高地)を確保.これに続く二個連隊は強まる米軍の砲火の前に渡河を断念.
倭館北方では,渡河中の北朝鮮軍を韓国第一師団が攻撃.北朝鮮軍は渡河を断念.

09:30am 第一騎兵師団,倭館南方で洛東江を渡河した北朝鮮軍を包囲.第7騎兵連隊の第一大隊が,測量山の北朝鮮軍を攻撃するが,撃退される.倭館北方では,韓国軍第一師団が,北朝鮮軍第10師団を洛東江に向け5キロ余り退却させる.

洛東バルジ: 05:45am 米軍第24師団第9連隊,大邱西南方45キロの北朝鮮軍橋頭陣地に対して一斉に攻撃を開始.午後には,北朝鮮軍の確保する昌寧橋頭陣地の最後の高地,クローバーリーフとObong-ni尾根を奪還.

北朝鮮軍は南東端の南旨に兵力を集結.洛東江の西方約2キロの陜川道路にも北朝鮮軍の大部隊が集結中.

南部戦線: 正午 米軍の反攻作戦が開始.第五海兵連隊第3大隊が24連隊とともにChindong-niの北朝鮮軍防衛線を突破.海岸道路をさらに南下し,Much'on-ni の35連隊との連絡を図る.午後には,第五戦闘団が晋州国道の戦いで勝利.

浦項戦線: 北朝鮮軍第五師団、盈徳を攻略。さらに浦項に向かう。韓国軍第三師団は盈徳南方の海岸に圧迫され孤立状態に陥る。

8.09 金日成,ソウルを訪問.

8月10日

倭館戦線: 朝 第一騎兵師団,倭館南方で洛東江を渡河した北朝鮮軍に対し反撃を開始.洛東江東岸の2つの北朝鮮軍の橋頭陣地を奪取.

騎兵師団第一砲兵隊,268高地の北朝鮮軍に集中砲火を浴びせる.F51戦闘機が北朝鮮部隊を爆撃.このあと第7連隊第一大隊が268高地を制圧し,夕方までに北朝鮮部隊を殲滅.

洛東バルジ: 霊山の北朝鮮軍第4師団部隊が,遺棄死体1200を残し壊滅.北朝鮮軍,洛東江西岸にいったん撤退.

南部戦線: 第35連隊は晋州東方20キロの班城を挟撃.北朝鮮軍数百名を包囲する.第五戦闘団第二大隊,Pongam-niの南尾根を確保.第一大隊は北朝鮮軍の激しい抵抗の中,北尾根の東斜面を確保.北朝鮮軍はPongam-niの米砲兵隊を夜襲するが撃退される.

8.10 マッカーサーの台湾訪問への批判が広がる.マッカーサーは「この旅行はあらゆる機関と事前に打合せを行い,公式に準備されたものであった.旅行の目的は軍事問題だけに限られたもので,米大統領の指令に基くものであった.今回の訪問は,太平洋における敗北主義と緩和政策を宣伝して来た者により,悪意を持って伝えられている.それは現在の重大な世界的危機に際し,米国代表者への忠誠と信頼を破壊し,不和を促進するものである」と述べ,米国務省を半ば公然と攻撃.

8.10 政府は警察予備隊設置の基本を定めたポ政令第260号「警察予備隊令」を公布,即日施行.増原恵吉(本部長官),江口見登留(同次長),石破二朗(警務局長)が発令される.

 

8月11日

倭館戦線: 北朝鮮軍、第三師団に代わり第10師団が前線に立ち攻撃。騎兵師団により撃退される。

洛東バルジ: 北朝鮮軍,数カ所で仮設橋を建設.戦車数台と第4歩兵師団の渡河に成功.クローバーリーフとObong-ni尾根をふたたび奪還.米第19連隊第二大隊はクローバーリーフ北方のOhang高地を確保.

北朝鮮部隊の一部は南方に回り,Yongsanー馬山国道を洛東江で切断.

洛東江の橋を奪還するため,馬山で待機中の27連隊が急遽派遣される.27連隊は馬山北方5キロで,避難民の大群のため前進を阻まれる.

午後 27連隊,Namji-ri鉄橋南方のIryong-niで北朝鮮軍200名と遭遇戦.これを撃破したあとNamji-ri鉄橋に達し,これを確保.橋の北側に橋頭堡を構築.

午後 米第19,第34,第9連隊による総攻撃は北朝鮮側の強力な火力に阻まれ失敗.

南部戦線: 米軍前線,晋州まで5キロ以内の線まで前進.第35連隊,晋州の直ぐ東方の高地を占領.
第25連隊第三大隊,第五海兵連隊の支援を受け,晋州南方約30キロの固城を制圧.カモフラージュした北朝鮮補給部隊を捕捉.31台のトラック,24台のジープ45台のオートバイを破壊.
第五戦闘団はPongam-ni周囲の高地を制圧するが,北朝鮮軍主力とぶつかり,そこからの前進を阻まれる.

浦項戦線: 朝 約3000の北朝鮮軍第12師団,浦項の北西部および西部から市内に強襲.韓国軍は正午ごろ,浦項を放棄し後退.韓国軍増援に急行した米軍部隊は,浦項の西南16キロで北朝鮮軍の待ち伏せにあい,前進を阻まれる.(児島は13日に北朝鮮軍が浦項に迫ると記載している)

8.11 アチソン国務長官,「マリク国連代表が安全保障理事会の議長として,その行動を妨害している」と非難.対日講和条約検討は時期尚早と述べる.また台湾については,国府政府に対する軍事援助の可能性を含みつつ,中立化路線を強調.

8月12日

北部戦線: 北朝鮮軍一個連隊が,あらたに玄風(Hyongp'ung)で洛東江渡河作戦を開始.南西3キロの265高地を確保.もうひとつの連隊は破壊された橋を渡りYongpoへ侵入.さらに第7騎兵連隊第二大隊の守るWich'on-dongへ進出する.この大隊は Yongdong東方のNo Gun Ri で武器を捨てて逃亡した経歴を持つが,今度は北朝鮮軍を撃退し,Wich'on-dongと265高地を確保することに成功.多くの犠牲を出した北朝鮮軍は,算を乱して洛東江西岸に撤退.

洛東バルジ: 北朝鮮軍,夜のあいだにYongsanを包囲.Yongsan東方5キロでYongsan-密陽国道を封鎖.

Miryangの第24師団本部は,非戦闘員・憲兵・第24偵察中隊などをかき集め,緊急支援部隊を編成し派遣.北朝鮮軍のMiryangへの侵攻を食い止める.その後23連隊がMiryangに到着.そのままYongsan方面へ出動.

馬山から北上したNamji-riの第27連隊は,航空機の支援を受けながらさらにYongsanに向け前進.

南部戦線: 深夜 第五戦闘団第一大隊C中隊が,北朝鮮軍の奇襲を受ける.3時間の戦闘のあと,中隊は撤退を余儀なくされる.撤退中の中隊は,谷間で北朝鮮軍の待ち伏せ攻撃を受け,第555,第90野砲大隊を含め全滅.攻撃を切り上げた北朝鮮軍はSokum山地に引き上げる.

第五戦闘団第三大隊はさらに西方に進み,晋州東方5・4キロのMuch'on-niに到達.すでにMuch'on-niを制圧していた35連隊との連絡に成功.

固城を出発した第五海兵連隊は,晋州の南13キロまで前進.ここで北朝鮮軍の待ち伏せ攻撃を受ける.海兵は午後になり後退.その後,孤立の危険が迫った第五戦闘団の後方支援に回る.

浦項戦線: 米救援部隊,浦項飛行場への攻撃を撃退.米駆逐艦2隻が浦項沖合いで待機.浦項西方高地の北線軍陣地に砲撃.

8.12 シャーマン海軍作戦部長とコリンズ陸軍参謀総長が来日し,マッカーサー元帥と会談,クロマイト100-B計画を採用.仁川への上陸作戦が決定される.

8月13日

北部戦線: 騎兵師団地域の南端Hyongp'ungで,北朝鮮軍1個連隊が洛東江をわたり,409高地を確保する.

洛東バルジ: 第24師団,北朝鮮軍橋頭陣地に対し,大規模な反撃を開始.南からの第27連隊,東からの23連隊第一大隊がヨンサンに向け前進.夕方までにヨンサン東部の高地を確保.北朝鮮軍がヨンサン東部に設けた道路封鎖はすべて排除される.

第24師団を激励に訪れたウオーカー第8軍司令官,「この北朝鮮軍の橋頭陣地は米軍にとって最も重大な脅威だ」と語る.これに対しチャーチ師団長は「北朝鮮軍を河の対岸に撃退するか,それとも東岸で撃滅するかの何れかだ」とこたえる.

南部戦線: 第五海兵連隊,前線離脱を命令され,Chindong-niに撤退.これにともない,第25師団所属の各連隊も戦線拡大の中断を指示される.1週間の戦いで、北朝鮮第6師団は4千人の人的損害を受ける。

浦項戦線: 東海岸を南下した北朝鮮第五および第12師団,浦項西方の杞渓に進出.

米軍機甲部隊の偵察隊,浦項市内に突入.激しい市街戦となる.建物の3分の1は火災のため破壊される.浦項飛行場周辺でも激しい争奪戦が続く.

8.13 国警本部,警察予備隊に司法警察権を与えることに反対.法務総裁は司法警察権を持たせる意向を強く表明.

国警本部の意見書  予備隊は軍隊的なもので,司法警察権を与えると憲兵政治を復活させる恐れがある.しかも総理の直属機関であるため,政党政治に悪用されるきらいがある.したがって司法警察権は予備隊内部の規律保持,犯罪処理にとどめるべきである.

8月14日

北部戦線: 深夜 北朝鮮軍第10師団が,Yongp'oで渡河作戦を開始.明け方までに二個連隊規模の渡河に成功.Wich'on-dong方面への進出を目指す.同時に行われたSamuni-dongの渡河作戦は,第7騎兵連隊第二大隊により阻止される.

夕方 倭館北方で北朝鮮軍が渡河.防衛にあたっていた韓国軍第一師団を撃破,さらに南方に向け進撃.倭館を眼下に見下ろす303高地に迫り第5騎兵連隊G中隊と激突.

洛東バルジ: 早朝 34連隊B中隊がObong-ni尾根への攻撃を開始.いったん確保に成功するが午後には押し返される.Obong-ni北方のクローバーリーフ攻撃に向かった第9連隊も制圧に失敗.さらに北側で行われた19連隊の攻撃も失敗に終わる.

8月15日

北朝鮮軍、新たに第15、第13、第一師団が攻撃に参加。総勢6000名が,大邱西南方24キロと西北方25キロの2地点に新橋頭陣地を築く.

北部戦線: 早朝 北朝鮮軍のT34戦車が西方から303高地に接近.山の東側の米軍駐屯地に歩兵部隊が突入し制圧.

8:00am 北朝鮮軍第10師団,騎兵師団の守る303高地の包囲を完了.兵士が山に登り始める.まもなくH中隊迫撃砲小隊が陥落.G中隊は頂上付近に結集し,303高地死守の構えをとる.午後 B中隊がG中隊救出に向かうが,北朝鮮軍により阻止される.

洛東バルジ: 洛東江西岸南方には,32キロにわたって北朝鮮軍6万と数十台の戦車が集結.昌寧付近に第3橋頭陣地を築いた北朝鮮軍1万,霊山付近に潜伏していた戦闘部隊とともに,米軍に対し激しい反撃.第24師団は後退を迫られる.

第八軍,南部戦線の第一暫定海兵旅団に洛東バルジへの転戦を指令.24師団に代わり前線に立つ。23連隊第1大隊は,21連隊が北朝鮮軍と対峙するHyongp'ung付近の409高地への出動を命じられる.

8.15 米奇襲上陸作戦専門部隊(コマンド),北朝鮮の清津に上陸.清津港付近にある重要トンネル1カ所を爆破.

8.15 仁川上陸のための第10軍が編成される。司令官にはGHQ参謀長のアーモンドが就任。カリフォルニア州ペンドルトンの第一海兵師団、第7歩兵師団、韓国軍第17連隊、海兵連隊の一部が編入される。

8月16日

北部戦線: 303高地の戦闘.B中隊がG中隊救援に向かうが,ふたたび阻止される.G中隊は夜間になって自力での脱出に成功.

日本と沖縄の基地を出発したB29編隊,倭館北西部の北朝鮮軍に対し絨毯爆撃.

多富洞戦線: 倭館北東30キロ,大邱北方20キロの地点に,北朝鮮軍が進出し韓国軍を撃破.Sangju- Tabu-dong - Taegu道路を,大邱に向け進軍開始.

洛東バルジ: 第五海兵連隊,密陽に到着.洛東バルジの南部への展開を命じられる.中部は34連隊,北部は19連隊が担当することとなる.27連隊はKyongsanに移り予備役となる.

浦項戦線: 韓国軍首都師団,盈徳から海上撤退.

8.16 UPによれば,朝鮮戦争のいかんにかかわらず,早期講和については政府部内で一致.ダレス国務長官特別顧問と国防省が条約草案について意見調整をはかる.

8.16 ワシントン・ポスト社説,「北朝鮮軍の韓国侵略によって,『極東のスイス』構想は根本から覆された.米国は日本に基地を獲得すべきである.またこの観点に立って,元日本軍将校の率いる警察予備隊7万5000の設置もみとめるべきである」と主張.

8月17日

倭館戦線: G中隊脱出を受け,米軍は203高地に砲火を集中.4:30pmに高地の制圧に成功.

多富洞戦線: 午前 北朝鮮軍4個師団,戦車を先頭に韓国第一師団地域に猛攻を開始.大邱北方32キロ以内に迫る.背後にはさらに少なくとも3個師団が控える.

27連隊が大邱の北5キロのKumho川北岸に本部を置き展開.第一大隊と第八野砲大隊は,さらに北方3キロCh'ilgokまで進出し防衛線を引く.37野砲大隊は浦項から移動し,Ch'ilgokの前線に送られる.

洛東バルジ: 午前 第五海兵連隊第二大隊,Obong-ni尾根への攻撃を開始.二度にわたり頂上を制圧するが,そのたびに押し返される.兵力の60%が犠牲となった第二大隊は,午後4時に,第一大隊により救出される.

午後7時 第9連隊がクローバー・ヒルを制圧.海兵隊はクローバー・ヒルに隣接するObong-ni尾根に再度突入.夜になって,北朝鮮軍はクローバー・ヒルとの連絡路の切断行動に出る.

南部戦線: 北朝鮮軍が24,35連隊に対し小規模な索敵攻撃を繰り返す.Komam-ni地区のSibidang尾根では,駐屯中の35連隊第一大隊に対し,大隊規模の攻撃がかけられる.A中隊と砲兵小隊はいったん拠点を撤退するが,夕方までに回復.

8.17 李承晩、大邱を発ち釜山に向かう。その後外交団も次々に釜山に向かう。

8.17 国連の軍事行動に関するマッカーサー報告書,国連米代表部を通じてマリク安保理事会議長に送付される.「速やかに勝利を収めるためには,地上軍を速やかに増強することが絶対に必要である」と訴える.

8月18日

北部戦線 早朝 北朝鮮軍の後方支援部隊,倭館に近い洛東江西岸から大邱の郊外へ砲撃を開始.大邱市中にも砲弾が落下.午前9時には大邱駅に6発の榴弾が打ち込まれる。韓国政府は大邱から釜山へ撤退.釜山に臨時政府を設立.

多富洞戦線: 韓国第一師団の支援を受けた27連隊が,多富洞の北3キロSoi-riに到達.新鋭パーシング戦車隊および砲兵,空軍の援助の下に,北朝鮮軍を迎撃.

多富洞付近の地勢
大邱ーサンジュをつなぐ主要道路が南北に走る,道路の両側は道路に並行して丘陵が続く.西側には約千メートルのユハク山,東側にも800メートルクラスの山.Soi-riからさらに2キロ北にCh'onp'yong-ドン,さらにその北2キロで道は二股に分かれ,左側がサンジュに,右側が軍威に向かう.

洛東バルジ: 3:45am 北朝鮮軍,Obong-ni尾根の海兵隊に反撃.1時間後に183名の犠牲を出し撤退.この日のうちに海兵連隊第一大隊は尾根の全面制圧に成功.北朝鮮軍第4師団は洛東江方面へ敗走.これにより洛東バルジの第一次戦闘はほぼ終了.

南部戦線: 北朝鮮軍,35連隊第一大隊に対し大隊規模の攻勢.シーソー・ゲームとなる.

浦項戦線: 浦項の韓国軍首都防衛師団,杞渓地区への反撃を開始.

8.18 オーストラリアのメンジス首相が訪日し,マッカーサーと会談.対日占領政策について調整.「豪州の駐日部隊は9月には朝鮮で行動することになろう」と語る.

8月19日

多富洞戦線: 2am 北朝鮮軍,戦車・自走砲などを加え,第27連隊への攻撃を開始.第23歩兵連隊(第二師団)が27連隊の支援に回る.夜明けとともに,尾根を進撃していた韓国軍師団が北朝鮮軍への攻撃を開始.北朝鮮軍は後退.

8.19 コリンズ陸軍参謀総長,シャーマン海軍作戦部長が訪日.「通常の監察以上の何者でもなく,マッカーサーが両参謀総長の視察を要請した事実はない」とコメント.

8.19 外務省情報部,「朝鮮の動乱とわれらの立場」と題する外交白書を発表.「われわれを共産主義の暴力から防ぐものは民主主義国の団結の力以外にはない.中立論も戦争不介入論も日本軍事基地化反対論もすべて共産党の謀略工作である.日本の民主主義の建設と安全保障(共産党弾圧)は,国連軍への許される限りの協力だ」と結ぶ.

8.19 顧維鈞駐米国府大使,マッカーサーとの会談のあと記者会見.「対日講和の早期締結の可能性は非常に強い.日本は,再武装問題とは別に,自由愛好諸国の一員として,極東において重大な役割を演ずることになるだろう」と述べる.

8.19 アメリカB29爆撃機90機,北朝鮮清津・咸興の軍事,工業目標に対し800トンの爆弾を投下.

8月20日

8.20 米第24師団および第一海兵旅団,霊山西方の北朝鮮軍を一掃.

8.20 マッカーサー,「国連軍捕虜に加えられた北朝鮮軍による一連の残虐行為は,動かし難い証拠によって明らか」と声明.

8.20 ネール・インド首相は毛中国主席から北京公式訪問の招待を受けたと発表.

8.20 北朝鮮軍,洛東江をわたり4キロにわたり浸透.大邱北方24キロの地点で3度目の夜襲.韓国第一師団の攻撃部隊は倭館まで進出.

8.20 東部戦線の韓国軍,開戦以来最大の勝利を収め,浦項港から約26キロ前進.3個師団約3万に上る北朝鮮軍を全滅させる.北朝鮮軍は戦死3800,捕虜181の損害を受け盈徳方面に敗走.

8月21日

8.21 05:00am 9個師団(約5万ないし8万)の北朝鮮軍が,米軍陣地東方の多富洞の韓国軍陣地に進出.約3キロにわたり南方に浸透.韓国軍も反撃を開始.北朝鮮軍1個連隊を撃滅.

8.21 UP,米高官筋の発言を報道.「日本の再軍備は将来の危険を孕むことであり,極東委員会により禁止されている.もし米国が憲法修正を望むならば,不可能ではないと思う.しかし対日講和会議が開かれるまでは,極東委員会の決定を変更するのは不可能である.米政府は,第三次世界大戦以外の場合,講和以前に日本の再武装を許す考えは全くない.ただし,マッカーサーが必要と判断する場合は,20万の警察予備隊が大幅に増員されることはあり得る」

8月22日

8.22 米軍最高首脳が議会で朝鮮戦争に関して証言.

ジョンソン国防長官:朝鮮事変は,38度線まで押し返すという当初の計画に変化がなければ,来年2月までに終る.その時点で米国は,陸軍17個師団,空軍69連隊,各種空母23隻を含む艦隊を持つことになる.朝鮮から米軍を撤退する決定は政府の最上層部によるものであり.軍部の決めたものではない.
シャーマン海軍作戦部長:もし米国が極東にもっと強力な艦隊を持っていれば,これ程の困難はなかっただろう.
ブラドレー統合参謀本部議長:侵略があらかじめ慎重に計画,準備されたものであることは今や明らかである.共産主義は目的達成のためには,いつでも武力に訴える用意があることも明らかとなった.したがって米国の必要とする軍事力の計画を変更すべき必要も明らかになった.

8.22 韓国軍第13連隊は大邱北方22キロの多富洞付近の高地を占領.米第24師団第27連隊は,戦車に誘導された北朝鮮軍の攻撃を撃退.大邱から北方20キロの地点までの主要道路を確保.北朝鮮軍の一部は米陣地の後方に浸透.

8.22 北大評議員会協議会,イールズ博士講演中止の責任をとるとした伊藤誠哉北大学長の辞表を受理.学長代理には島農学部長があたることとなる.

8月23日

8.23 朝 大邱北方の第27連隊,後方切断を狙う北朝鮮軍の攻撃を,5回にわたり撃退.連隊幹部は,「今後2晩の戦闘で,米軍が大邱を失うか,または完全に北朝鮮軍を撃退するかが決するものと思われる」と語る.

8.23 北朝鮮軍第10師団,玄風の北朝鮮軍橋頭陣地を確保.大邱攻撃を狙う.

8.23 南部戦線の米第25師団,北朝鮮軍の攻撃によって失った地区を回復.

8.23 咸少佐の率いる韓国軍諜報部隊が仁川の沖合いの霊与島に上陸。上陸作戦を前に情報収集を開始。

8.23 東京のGHQ総司令部で、コリンズ陸軍参謀総長・シャーマン海軍作戦部長がマッカーサーらと会談。マッカーサーの仁川上陸作戦に対して技術的困難を理由に反対するが、最終的に作戦を受け入れる。

ワシントンの反対理由: @二正面作戦は釜山橋頭堡を弱体化させる。A第7師団を投入すれば日本の防衛力は皆無となる。B仁川の地形的・海象的条件は、上陸作戦に極めて不適当である。

8.23 ロイターによれば,ソ連はポツダム協定に拘束されることなく,東独政府との間に単独講和条約を樹立する計画.条約締結後6カ月以内に,西欧諸国に西ベルリンからの退去を要求する予定.

8月25日

8.25 国連米代表部,リー国連事務総長に対し,「米国は安保理事会が台湾問題を検討するのに反対しない」旨通告.「米国は台湾に関し,何ら領土的野心を持っていない.米国のとった措置は,単に台湾の中立化を目指したものである.台湾の将来の地位は国際的に決定されるべきである」

8.26 米議会,米軍反攻が38度線を越えて行われるべきか否かで激論となる.

越北派の意見
1,もし北朝鮮軍が新たな攻撃力を再備するならば,38度線まで後退させるため米軍が蒙った犠牲は無になってしまう.
2,朝鮮問題の唯一の解決策は,自由な統一朝鮮政府を樹立することにある.38度線の固定は解決にはならない.
3,38度線にとどまろうと,中国国境まで進もうと,ソ連は賛成しないだろうし,反撃もしないだろう. 

8.27 東海岸の北朝鮮第五および第12師団,浦項への総攻撃を開始.韓国軍は浦項ー安康を結ぶ兄山江の線まで後退.21連隊第一大隊が支援に入る.夜間になって,北朝鮮第五師団は浦項の包囲作戦を開始.

8.27 マッカーサー,帰還軍人協会の大会に宛て「太平洋諸島の防衛線を確保すれば平和を維持できるが,もしそれを失えば戦争は不可避だ」と述べたメッセージを送る.そのあとトルーマン大統領自身の指令により,このメッセージを撤回.台湾の軍事的重要性を強調した部分が,中国との関係で問題となる.

8月28日

8.28 米統合参謀本部,仁川上陸作戦を最終承認.マッカーサー元帥は作戦発動を指令.マッカーサーは腹心のアーモンド参謀長を司令官とする第10軍団を編制。洛東バルジの第一海兵旅団を引き上げ、日本占領を担当する第7師団とで中核部隊とする。なお激戦が続く洛東バルジへは、第7師団の1個連隊を割いて派遣。

8.28 豪州軍を主力とする英第27旅団が,釜山に到着.ただちに慶州に配置される.

8.28 ソ連のマリク安保理事会議長,台湾問題を議題に取上げて討議すると通告.

8.28 トルーマン大統領,台湾に関する米国の立場を明らかにした7項目の声明を発表.

トルーマンの台湾声明の要旨
1.米国は中国人民に対し絶えず友情を示してきた.米国は中国領土を侵害したこともなく,また中国に対し侵略行為を行ったこともない.
2.中国政府(国民政府)は連合国の要請に基き,台湾駐在日本軍降伏の責任を引受けた.これが中国政府(国民政府)が現在,台湾にいる理由である.
3.今日の米国の台湾政策は,台湾が中国本土と戦争状態にあり,戦争の危機が拡大していた時にとられたものである.米国の基本的スタンスは,中国内の両軍に平等に適用された「公平なる中立化」と平和の維持である.これは国連憲章の精神と合致する.米国の行動は台湾問題の政治的解決を阻害するものでない.
4.台湾の法的地位は国際間の合意以外には決定できない.米国は,国連が台湾問題を考慮することを歓迎する.国連による検討こそが,この問題の平和的解決に役立つであろう.国連総会でも,米国は中国の領土保全の決議案を真っ先に採決した.ソ連がこの決議に反対した.
5.しかし今,安保理事会は,先ず韓国に生じた情勢を審議すべきだ.朝鮮では平和の侵害が起った.そして国連軍は侵略を撃退するために戦っている.しかし台湾は現在のところ平和であり,何人が敢えて武力に訴えない限り,平和を保つであろう.

8月29日

8.29 米民主党,,ト大統領は米軍の最高司令官であり,軍規を維持する権限をもっているとし,マッカーサー発言撤回に関するトルーマンの行動を黙認.ホワイトハウス当局も事件は既に落着したものと考えると言明.

8.29 第21連隊と第73戦車大隊,浦項で反撃.北朝鮮軍を北方に押し戻す.韓国首都師団はいったん杞渓を制圧するが,夜間には引き揚げる.北朝鮮軍の先頭部隊,杞渓から南方に進出.浦項西方16キロ付近で大邱国道を数回にわたり切断.米韓軍車両に攻撃.

8月30日

8.30 北朝鮮軍,浦項西南2.5キロに進出.浦項救援のため出動した米韓軍に猛攻を加える.

8.30 第八軍情報部,馬山への大規模な攻撃の可能性があると通告.第27連隊が馬山の第25師団に配属される.

8.30 マッカーサー、国連軍司令官として、仁川上陸に関する「国連軍作戦命令」を発する

8月31日

11:30pm 北朝鮮軍第一軍団,最後の決戦となる九月攻勢を開始.第6、第7師団などが第一攻撃集団を形成。馬山正面に向かう。第2、第4、第9、第10師団などが第二次攻撃集団となる。昌寧、霊山を経て大邱南部に進出。

8.31 トルーマン大統領,朝鮮戦乱が終結すれば,米第7艦隊を台湾水域から撤退させると言明.

8月末 8月の犠牲者は米軍6千人.これに対し北朝鮮側は開戦時兵員の半数以上を失い,火力の7〜8割を喪失. 

 

50年9月 

9月1日 ホリブル・セブン(恐怖の7日間)

洛東バルジ

深夜 北朝鮮第9師団、馬山に向かう鉄橋の確保を狙い南旨に大攻撃.米軍第二師団は霊山東方丘陵地帯まで撤退.第9師団の左翼の北朝鮮第二師団は昌寧に迫る。

1:30am ウォーカー、昌原に待機する第5海兵連隊に、米第二師団が守る霊山への出動を指令。

未明 北朝鮮軍第9師団が米第二師団第9連隊を撃破し洛東バルジの霊山をふたたび奪取.さらに霊山から蜜陽に通じる国道に侵入.

馬山戦線

夜半 北朝鮮軍第6師団が,咸安の米第24連隊第二大隊を撃破.その後第7師団の戦車部隊が南江を渡河し,馬山北方に進出し第35連隊の背方に回り込む.

9.01 クラーク大尉の一隊が,仁川の月尾島(霊与島)に潜入.咸少佐の情報を確認すべく偵察行動を開始.

9.01 浦項戦線の米第2,第24の両師団および韓国軍第3師団,浦項北方10キロの興海奪回を目指して作戦を開始.

9.01 トルーマン大統領,炉辺談話(ファイアサイド・チャット)に出演.

談話の要旨
朝鮮における共産軍の侵入はすでに峠を越した.北朝鮮が他国の軍隊を介入させなければ,「本格的な戦争」には発展しないだろう.中国が誤って国連及び米国民を敵に回して闘うことのないよう切望する.ソ連は米国の経済力を過小評価する誤りを犯してはならない.

9.01 閣議で公務員などのレッドパージの方針を決定。11月10日までに民間主要産業342社9524名と各官庁公務員1177名合わせて1万701名がパージされた。

9月2日

9.02 早朝 米軍第5海兵連隊,霊山(209高地)を奪回.白兵戦を挑んだ北朝鮮軍第9師団はこの戦闘で崩壊.昌寧でも第38連隊が北朝鮮軍の前進を阻止.北朝鮮軍は甚大な被害を残し撤退.洛東バルジのほぼ全域が米軍の支配下に入る.

9.02 南部戦線では米軍が咸安を奪回.北朝鮮第6師団は約1万の損害を出しいったん後退.(この時点で第6師団の全兵力は1万を切っていたはずだが)

9.02 倭館の第一騎兵師団,大邱に向かう北朝鮮軍主力を背面攻撃.第7騎兵連隊が多富洞に入り,Suam山(518高地)を奪取.

9.02 マッカーサー元帥,国連安全保障理事会に,「国連軍の活動に関する第3次報告書」を提出.国連軍増強の必要を強調.また「北朝鮮軍がカムフラージュのため民家や民間輸送機関を利用しており,軍事目標を識別することは著しく困難」と民間人や施設の攻撃を合理化.

9月3日

0:00pm 北朝鮮第二軍団が総攻撃を開始。190キロにわたる国連軍の防衛線全面に対し,10万の兵力を投入して攻撃を再開する.12地点で洛東江をわたり,少なくとも3カ所に橋頭陣地を確保する.馬山では第27連隊第一大隊が包囲される。

洛東バルジ・馬山戦線

北朝鮮軍第9師団,209高地を奪回.馬山・晋州間でも激戦が続く.

北部戦線

北朝鮮部隊が二台の戦車を先頭に攻撃開始,第8騎兵連隊の防衛線を突破し、多富を制圧.さらに大邱を見下ろすカ山(902高地.)を制圧.急派された米軍混成部隊とのあいだで激戦となる.

東部戦線

杞渓の北朝鮮第12師団,浦項に対し猛攻.米韓軍は興海奪回作戦を中止.第21連隊は慶州北方まで撤退.第9連隊第三大隊などが延日飛行場の守備隊として残される.

昼 ジェーン台風が大阪に上陸。その後列島を縦断。大阪では市内西部が水没状態となり、死者53人、行方不明11人を出す。

9月4日

洛東バルジ

第五海兵連隊、霊山西方で反撃を開始。北朝鮮第9師団の司令部を襲撃。第9師団はT34戦車二両を放棄し壊走。

北朝鮮第二師団、昌寧で38連隊の防衛線を突破。

北部戦線

北朝鮮第13師団が架山と多富洞を制圧。第三師団は第7騎兵連隊の背後に当たる464高地を制圧。さらに倭館北側の303高地に進出。

米騎兵師団はカ山奪還を目指す.北朝鮮軍の反撃により多大な犠牲を出しながら755高地まで進出.多富では激しい戦闘が繰り広げられる.

東部戦線

北朝鮮第12師団の主力隊、韓国軍第三師団の側面をつき、浦項西900メートルの延日で,大邱―浦項公路(永川道路)を切断.米韓合同軍は安康東方の仁洞まで撤退.追撃する北朝鮮軍は西13キロの安康を攻略.

浦項攻撃に入った北朝鮮軍部隊、浦項西南方浦項停車場から西南900メートルの丘陵のうち少なくとも3つを占領.浦項はほぼ孤立状態となる.別動隊は韓国軍防衛線から16キロ侵入し、慶州・浦項間の連絡を切断.前線部隊は慶州から北方わずか6キロの地点に達する.

第15師団は永川に浸透。

1:00pm GHQのライト作戦部長、大邱を訪れウォーカーと会談。6日に海兵隊の撤収、仁川への移動開始を行なうと通告。

8:00pm ウォーカー、師団長会議を招集。戦況は急迫しているとし、戦線の縮小を提起。東海岸の蔚山、密陽、馬山東側の山地を結ぶダビッドソン・ラインの可能性を検討する。激論の末、当面は現戦線を維持してたたかうこととなる。

9.04 米海軍所属の航空機がWolmi島(現仁川国際空港)への爆撃を開始.

9.04 ソ連機とみられる爆撃機が,国連軍海軍部隊を攻撃.撃墜される.ソ連の北朝鮮「再占領」の動きに注目が集まる.

9月5日

北部戦線

北朝鮮第3師団が倭館を攻撃。第一騎兵師団は倭館西方から撤退し,新防衛線に司令部を移動.

夕方 大邱北方の第7、第8騎兵連隊,多富洞南方5キロの新陣地に後退.大邱の北わずかに15キロ.米軍は755高地確保を断念.周辺の高地はすべて北朝鮮軍第1、第13師団が確保.尚州の第一騎兵連隊が孤立の危機に.

東部戦線: 

北部から永川付近に進出した北朝鮮軍第15師団、夕方には永川に総攻撃.永川を守る韓国軍第8師団は崩壊。

第12師団主力は安康から東に向かい,一日にわたる市街戦の末,浦項を制圧.浦項西南10キロ延日の米軍飛行場への圧力を強める.飛行場の防衛にあたっていた米軍部隊は孤立する.

洛東バルジ

米軍,209高地をふたたび確保.

南部戦線

米軍が咸安を確保.

深夜 第八軍の後方司令部と韓国軍司令部,大邱を撤退し釜山北方の東来に移る.

9.05 国連軍,羅北海岸地帯の群山に集中攻撃.空軍による爆撃の後,英米コマンド部隊が威力偵察を敢行.1週間後に作戦を終了し撤退.仁川上陸作戦のための陽動作戦.

9.05 国連安保理事会が開かれる.オースチン米代表は,「中国国境地域に続々軍隊が移動しているとの報道を懸念している.ソ連は中国と米国の緊張を高めるために,あらゆる手段を講じている.米政府はあらゆる紛争を,国連を通じて平和的に解決しようとしている」と述べる.マリク・ソ連代表は「人道的見地から,米国の北朝鮮爆撃中止をもとめるソ連提案を協議すべき」と主張.

9月6日

北部戦線

北朝鮮軍第三師団,倭館を占領.倭館近郊の313高地も北朝鮮軍の手中に帰す.

北朝鮮軍第13師団,カ山からさらに南の錦岩周辺に進出.一時多富の国道を封鎖.まもなく米軍が奪回.

尚州から退却中の第7騎兵連隊が孤立。北朝鮮第一師団は第8騎兵連隊の退路を遮断。

東部戦線

永川を占領した北朝鮮軍第15師団,主力を慶州に差し向ける。米軍の空爆により後方を絶たれた北朝鮮軍は,補給線維持が困難となる.

北朝鮮第12師団、浦項―大邱公路を突破して慶州に向って進撃.慶州北方11キロまで到達.一部は蔚山に浸透.米軍は慶州に24師団第9連隊を派遣.

洛東バルジおよび馬山戦線

0:00am 第五海兵連隊、仁川上陸作戦参加のため戦場を離れ釜山に向かう。その後を第二師団第9連隊が引き継ぐ。

南江の北朝鮮第7師団が退却を開始。米35連隊は、河畔に遺棄された北朝鮮兵士の死体2千を発見。

9.06 マッカーサー、仁川上陸作戦が15日決行予定であることを各部隊に文書で通達。

9.06 韓国海兵隊,木浦沖合いの荏子島および群山沖合開也島に上陸し戦闘を開始.

9.06 ヴィシンスキー・ソ連外相,朝鮮戦線におけるソ連機撃墜事件についてカーク駐ソ米大使と協議.カーク大使は,「私の情報では,この事件は,安保理の決議に基いて行動している国連軍による防衛行動である」とし,国際連合で処理されるべき事柄であると言明.

9月7日

北部戦線

第一騎兵師団、第8騎兵連隊の守る北方に戦車隊を進出させ、尚州の騎兵師団第7連隊を救出。第7騎兵連隊は多富まで撤退.カ山への攻撃に加わる.

東部戦線

第24師団21連隊,慶州から永川方面に進出.安康里西方から出撃した北朝鮮軍第12師団の約2個連隊,小部隊に分かれ永川と慶州の中間地帯に浸透.

第24師団、浦項付近の韓国軍第7師団第5連隊を永川に向かわせ奪還。北朝鮮第15師団は永川に戻り、ふたたび永川を制圧。

南部戦線

北朝鮮軍が反撃し,P'il-bong,BattleMountain,SobukMountainを奪還.

9.07 トルーマン米大統領,ドイツ再軍備問題が米英仏外相会議と北大西洋条約理事会とで審議されることを明らかにする.

9.07 国連安保理,米国の朝鮮爆撃を非難したソ連決議案を否決.グロス米代表は中国の提訴した「米機の満州爆撃事件」に関し国際調査委員会を設置する決議案を上程.中国代表招致については拒否.

9月8日

東部戦線: Changnyongの決戦.北朝鮮第二歩兵師団が最後の吶喊攻撃.朝鮮人民軍総参謀長姜健が戦死するなど戦線壊滅.米韓軍は永川を完全制圧.永川と慶州間の道路も確保.永川南東約5キロ半に北朝鮮軍が築いた道路防壁は除去される.韓国軍は安康方面への反撃を開始.

北部戦線:第5騎兵連隊,倭館東方の新洞まで撤退し新たな防衛線.錦岩の570高地で攻防戦が展開される.

9.08 ユージン・クラーク中尉の率いる特殊部隊が,現地警察の支援を得て,仁川に通じる島々を確保.上陸作戦に備える.

9.08 リー国連事務総長,中国政府に対し,「もし国連総会で中国代表を受け入れることに決れば,代表団を迎えるための,あらゆる措置がとられるだろう」と通告.

9.08 安保理事会,米軍機の中国地区侵犯問題を討議する際,中国代表を理事会に出席させる提案を決定.

9月9日

東部戦線

安康に進出した米軍,北朝鮮軍第12師団の反撃にあい撤退.第12師団は第5師団とともに延日の飛行場に対する包囲を強める.

永川戦線

北朝鮮軍第15師団を中核とする3万,永川を3方面から包囲.先頭部隊は大邱に向け西進をはじめる.他の部隊は大邱東南方の慶州に進む.永川―慶州街道は5カ所で北朝鮮軍の砲火にさらされ,悪天候のため空軍の援護活動が困難な中,第24師団および韓国軍は防戦に追い込まれる.

多富戦線

北朝鮮軍はさらに南下.第1騎兵師団は大邱北方の高地から撤退.大邱北方を流れる琴湖江に最後の防衛線を張る.北朝鮮偵察隊は大邱北方11キロの米軍陣地後方まで侵入.大邱には3万人の難民が避難.

洛東バルジおよび馬山戦線

昌寧の北朝鮮第二師団は攻撃力を失い、守勢に回る。

北朝鮮軍、馬山を目指すための要衝戦斗山を確保するが、その後、攻撃力を失い停滞。

9.09 ワシントンの統合参謀本部、仁川上陸作戦を最終的に承認。

9.09 トルーマン大統領,アチソン=ジョンソン勧告書に基き,西欧駐在米軍の飛躍的増強を承認.

9.09 ラスク極東問題担当国務次官補,復員軍人全国大会でアジア政策目的について講演.

ラスク講演の要旨
アジア問題はアジア諸国自身が解決しなければならない.アジア国民は近代的生活条件を備える必要がある.貧困,施設の不足,技術的知識の欠如,軍事的弱体などが困難を生んでいる.
我々はアジアに対して一片の領土も1つの特権も1つの特殊の立場も求めない.アジア国民の自由で,自主的で,民主的で,国際関係を尊重する民族的熱意を支持する.
国連諸決議に基づく自由な統一朝鮮を支持する.朝鮮における侵略は阻止されなければない.国連の1加盟国として積極的に行動すべきである.
我々は台湾への経済援助を続けるべきである.将来的には台湾を中立化し,その地位を国連で解決することが重要である.この問題を武力攻撃で解決しようと試みるものがいれば,米国は台湾に軍事援助を与えるべきである.
米国は中国との伝統的な友好関係をもち続けることを望む.しかし共産党が中国本土で行っているあらゆる侵略行為は,重大問題である.

9月10日

東部戦線

韓国第3師団および戦車,大砲を持つ米第2師団,浦項飛行場を引き続き確保.その北方および西方に布陣.

慶州を攻める北朝鮮軍第13師団、攻勢を止め後退に移る。

永川戦線

ウォーカーの陣頭指揮を受けた韓国軍第11、第5連隊と第8師団,慶州から進出し永川を制圧.さらに北方に進出.北朝鮮第15師団は包囲され壊走。

北部戦線

北朝鮮軍,大邱を見下ろす八公山の奪取を目指し「万歳攻撃」を開始.第一師団第二連隊は支援火力なしに突進し、たちまち兵力の三分の二を失う。

9.10 アチソン国務長官がテレビ演説.対中強硬派を抑えるとともに,中国に自制を求める.

アチソン演説の要旨
戦争が不可避であるとの考えは,あらゆる点からみて不道徳で誤謬に満ちており,非常に悪意あるものだ.それは我々がまさに阻止せんとするものを招来せんとするものだ.戦後5年間に,ソ連がイラン,トルコ,ベルリン,および東欧で行った行動によって米国は反撃に出ざるを得なかった.これは絶対に必要で,かつ根本的問題であった.
朝鮮における国連の行動は歴史上,重大転換の1つである.すなわち自由な諸国が侵略に対し,具体的に反撃したからである.
台湾は国連軍の左翼を防衛するために中立化されたのである.台湾の将来は武力によってではなく平和的交渉によって解決されねばならない.
中国が自国の破壊を求めている理由は,明らかに朝鮮紛争を引起した共産主義運動の圧力が加わっているからである.中国が北朝鮮側に立ち,朝鮮戦乱に介入することは中国にとって全く馬鹿げたことになるであろう.

9月11日

9.11 第9連隊が慶州北方の北朝鮮軍拠点を次々に陥落.慶州正面の北朝鮮軍は一斉に敗走。大邱では錦岩の570高地に対する奪還作戦が開始される.ウォーカーは「北朝鮮の戦力は破弾界に達した。明日の様子しだいで反撃命令が出せるだろう」と述べる。

9.11 日本国内で仁川上陸部隊として、第一海兵師団,第7歩兵師団を中核とする第10軍団が編成される.司令官にはマッカーサー副官のアーモンド参謀長.これに現地で韓国軍第17連隊が加わる.第1海兵隊師団2万6千が神戸を出港.米第七師団も横浜を出港.

9.11 金日成,ラジオで演説.「朝鮮人民の自由と独立のための正義の戦いを、誰が侵略者呼ばわりするのか」と述べ,開戦が北側のイニシアチブにあったことを示唆.

9.11 安全保障理事会,ソ連代表提出の「中国領土爆撃問題に関する安全保障理事会の討議に中国代表を招請する件」を表決.賛成6,反対3,棄権2で法定得票数たる賛成7票に1票足りないため,これを否決.賛成6はソ連,ユーゴ,インド,英国,ノルウェー,仏国.反対3は国府,米国,キューバ.棄権2はエジプト,エクアドル.

9月12日

9.12 北朝鮮軍,永川―浦項道路以北の防衛線に撤退を開始.慶州方面の北朝鮮軍第5師団は敗走。

9.12 ウォーカー司令官、「断固たる相反撃」を指示。第7騎兵連隊が大邱北側の314高地を奪回。韓国軍第一師団,カ山東方の八公山への攻撃を開始.永川から北上した韓国第8師団は八公山北方まで進出.北朝鮮軍最精鋭の第二師団を殲滅.東部戦線でも韓国軍第三師団,米第24師団が浦項を制圧.北朝鮮第12師団を追い、さらに北方への進出を開始.

9.12 米第十軍団所属の米第五海兵連隊・韓国海兵連隊・韓国第十七連隊が釜山港を出港.マッカーサー、戦艦マッキンレー号に載り佐世保港を出発。

9.12夜 米英遊撃隊が郡山に上陸し威力偵察行動。仁川上陸のための陽動作戦。

9.12 ルイス・ジョンソン米国防長官・アーリー国防次官が辞任.アチソン国務長官との対決に敗れたもの.ジョンソン前国防長官は予防戦争を呼びかけたマシューズ海軍長官を非難しなかった.トルーマン大統領はジョージ・マーシャル元帥を任命.新国防長官マーシャルは,これまで蒋介石政権を強く批判してきた.

9.12 ニューヨークのウォールドーフ・アストリア・ホテルで,米英仏3国外相会議が開幕.強力な米国の援助を得て西欧の総合的防衛計画を打ち出すのが目的.アチソン米国務長官はドイツ軍約10個師団の創設を提案.

アジア問題に関しては,@東南アジアにおける共産主義勢力の拡大を阻止するため,インドシナ,朝鮮および台湾に対する援助を強化することで一致.Aマッカーサー元帥の役割を明確にすることで対策の検討を認める.Bソ連が主張する中国政府の国連加盟問題については,いち早く毛沢東政権を承認した英国は,米仏の強硬姿勢が中国をソ連の手中に押しやっていると主張.米国の対日講和基本方針が提示される.占領の終止と日本の主権回復の前提として,世界の平和と安全保障が確立するまで,米軍部隊が日本に駐在すべきことを明記.日本に於ける米軍部隊の配置について,日米両国間に別個の取極めを行う.

9月13日

9.13 米第八軍,洛東江線突破のため米第一軍団を編成.米第一騎兵師団・米第二四師団・韓国第一師団などより構成される.

9.13 国連海空軍,東海岸の三陟と西海岸の平壌外港,仁川の月尾島を艦砲射撃と爆撃により威嚇.

9.13 駆逐艦など10隻からなる米海軍,仁川に通じる飛魚水道(FlyingFishChannel)に侵入.港の入り口に位置する月尾(Wolmi)島に艦砲射撃を加える.

9.13 AP電.米外交当局者によれば,「日本は国連に加盟した場合は,全世界の安全保障の責任の一端を担うため,おそらく何時か再び軍隊をもつようになるだろう.米軍の日本駐在継続に関しては,米日両政府が別個の条約について交渉を行う.講和条約に対するソ連及び中国の関係がどうなるかは明らかでない.しかしソ連が講和問題の解決を妨害するのは許されないだろう」

9月14日

9.14 北朝鮮の9月攻勢が終焉を迎える.

大邱戦線:第一騎兵師団が激戦を継続.カ山周辺の高地がすべて米韓軍の制圧下に入る.

南部戦線:Sibidang山地,BattleMountain,ソブク山地でのシーソーゲームが続く.洛東バルジ戦線は北朝鮮軍の壊滅によりほぼ消滅.

東部戦線:米軍に後方支援された韓国軍が浦項ー永川北方のラインまで進出.北出身者からなる韓国軍ゲリラ部隊,浦項の北30キロの海岸に上陸.北朝鮮軍の抵抗にあい,その日のうちに撤退.

9.14 米艦隊が2日連続の月尾島攻撃。前日とは変わり、守備隊からの反撃は消滅。

9.14 米国務省,極東委員会を構成する13カ国代表に対し個別に,対日講和条約について,「2週間以内」に非公式討議を開始したいと通告.

























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